第39回テーマ館「(僕の)街」



紡微細呪都市〜音の無い街 いー・あーる [2001/05/15 14:07:20]


「えー、言葉を封じるんですかぁっ?」
 良く通る声が、ごくごく無造作に放たれる。
「…………文句あるか」
「げー」
 ごいんっ。
「ったあ、師匠っ」
「げー、てな何だっ」
「その、口で言う前に手が出る性格、何とかしてくださいよっ」
「お前の、その、考える前に口走る性格こそ何とかしろっ」
「うーー」

 恨めし気に見上げるのは、少年である。
 まだ、声変わり前。どこかまだ子供子供した顔、づけづけとした物言い。そ
れらが重なって、傍から見る限りはそれなりに愛嬌のあるものとなっているの
だが、当事者達にしてみれば、恐らくは猛然と反対したくなる評価には相違無
い。
 そして、彼が師匠呼ばわりする相手も、決して充分に歳がいっているわけで
は無い。まだ青年期の、恐らくは半ば。背は確かに、傍らの少年がうんと見上
げるくらいには高い。

「……でも、不便ですよ」
 季節柄、色あせたような茶色の風景の中を、彼らの前後に伸びる白茶けた道。
 ぽくぽくと歩きながら、少年が言う。
「それは知ってる」
「師匠、そこに捕まえた魔を届けるんですよね?」
「そう」
 その言葉が聞こえたかのように、青年の担いでいた二つの袋のうち、鮮やか
な青の縫い取りを施した袋がもぞもぞと動いた。
「……っと」
「要らんこと言うなよ」
「すみません」
 流石に、魔の取り扱いについては主従共に心得ている。素直に少年は謝った
が、
「でも師匠」
「……何だ」
「何で、そこにゆくのに、言葉を封じるんですか、それもぼくの」
「俺も、封じるんだよ」
「……」
 それにしたって、と言わんばかりの顔で、少年が見上げる。それをちらりと
見て、青年は少し肩を竦めた。
「先見してみろ」
「……はい」
「井戸か何か見えるか」
「えっと」
 少年は、粗い織りのマントから両手を出し、目の前で両の親指と人差し指を
合わせた。そこに出来た三角形から道の先を睨む。
 つう、と、その手が白く発光した。
「あ、あります」
「よし。じゃ、今日はそこで泊まりだ」
「……野宿ですかあ?」
 ぶっすー、とした声に、青年は怒鳴りかけ……そしてまたひょいと肩を竦め
た。
「お前が見た通り」
 ちぇ、と、少年が小さく呟いた。

 実際のところ、井戸に辿りついたのはまだ日はそこそこ高い、いつもであれ
ば、まだあとしばらくは歩ける時刻だった。
「師匠、今日中に街に行けるんじゃ無いですか?」
「うーん」
 空を見上げてから、青年はしばらく何やら計算していたようだが、最後には
首を横に振った。
「無理すれば可能だが、それにしてもちょっときつい」
「はあ」
「あの街に行く時は、出来るだけ朝に行きたいからな」
「って、じゃあ、明日は」
「早めに寝て、早めに起きて、さっさと街に入って、これを届けて、で、午後
には出る」
「げーーっ」
 ぶん、と飛んできた拳固を、少年は危ないところで避けた。
「いちいち五月蝿い奴だなっ」
「だって、もう5日も連続で野宿ですよっ。折角街に入れるのに泊まれないん
ですかっ」
「泊まるのが、嫌なんだ」
 ぶすーっとして、少年は荷物を降ろしたが、ふと、その手を途中で止めた。
「……師匠」
「ん?」
「そんなに、危ないところなんですか?」
「あー?」
 荷物を降ろし、片方の袋の周りに円と細かい模様を描きつけていた青年は、
きょとん、と、少年を見上げたが、
「……うん、そうも言えるな」
 その顔を見上げて、真面目に答えた。
「どんなところなんですか?」
 その真面目さは、きっちりと弟子にも伝染する。きちんと荷物を置き、文様
を描く青年の前にしゃがみ込んで、少年は尋ねた。
「……うん」
 尖った石で描いた最後の線を丁寧に延ばすと、青年は石を放り投げて立ち上
がった。
「お茶を沸かそう」
「はいっ」

 乾季の草原で、燃やすものというのは殆ど無い。それでもそこからしばらく
歩いたところにかろうじて立っていた木の周りから、彼らは多少の枯れ葉を得
た。後は、持ち歩いている燃料を丁寧にナイフで切って、携帯コンロの中に入
れる。
「この先の街の名前は?」
「えっと……shutika」
「うん。静か、とかそういう意味なんだけどな」
 ふうん、と、少年が小さく頷く。
「あの街では、住んでいる連中のほぼ全員が喋らない」
「え?」
「意思疎通は、大概太鼓を使うな。俺もそう度々行くわけじゃないから細かい
ところまでは分からんが」
「……太鼓ですか?どんな?」
「そんな、大した物じゃない」
 片腕で大きさを示しながら、青年は笑った。
「街に入るところで、冊子と一緒に貸してくれるんだ。それを見ながら決めら
れたリズムで叩く。あそこに住んでいる連中だと、床を叩くだけで大概用事を
済ませているけどな」
 ふえ、と、感心とも呆気とも取れる声を、少年はもらした。
「そもそも、あの街は、そういう街なんだ」
 湧いた湯に、袋から取り出した茶の葉を放り込む。つんと香気が漂う。
 手早くそれを注ぎ分けながら、青年は言った。

 昔。
 まだ、魔が平原のあちこちに巣食っていた時代のことらしい。
 丁度、この街がある場所に、特に厄介で強大な魔が住みついていたらしい。
 何人もよってたかって、その魔を退治しようとした。そして最終的には成功
したんだが。
 でも、あまりに強大過ぎたんだな。魔はその地に縫い止められる形で封じら
れてしまった。それをどこかに動かすことも、もっと小さな形で封じなおすこ
とも、難しかったらしい。
 それで、彼らは魔の周りに、幾重にも結界を張った。……そう、俺が今やっ
たように、地面に文様を彫り込んだ人もいたらしいし、魔の切れっぱしを布に
織り込み、燃やした上で灰を地に埋めた奴もいたらしい。それはもう、それぞ
れが思いつく限りの封じを行ったらしいよ。
 ただ、そこで一番の封じの上手が、音を撚って封じる奴だったらしいんだな。

「音を、撚る、ですか?」
 少年は目をぱちくりさせた。
「うん」
「……って、どーやって……」
「うん。俺もそう上手くは無いんだが……」
 言いながら、青年はそれでも手を伸ばす。三本の指を反り返るほどに伸ばし、
つ、と、黒ずんできた空へと差し出し、そのまましばらく動きを止めた。
「……」
 呼吸さえも小さく押さえていた少年の目の前で、不意に青年は、持ち上げた
腕を斜めに降ろし、ぐいと一文字を引っ張った。
「あ」
 その指の先に、細くきらめくものが、一瞬走る。
「これ、だよ」
 指先を示して、青年が声を発した途端、まるで蒸発するように糸は消えた。
「…って」
「お前が発した声の、最後の一音を掴んで糸に紡いだ」
「……ふわあ」
 今度こそ、尊敬の念溢れる目で、少年は師匠を見た。
「凄いですね」
「俺のは、本当に児戯だよ」
 青年は、ごく当たり前のように言う。
「魔を封じたのは、こんなもんじゃなかった」

 魔を、封じる為の音。それを紡いだ糸。
 それは強力な封印だった。けれども強力であるが故に、ある意味不安定であ
ることも事実だった。
 出来るだけ不要な音を防ぐ必要があった。特に感情を伴う音は、やはり封印
の邪魔になった。
 そこで、彼らは音を完全に禁じる範囲を決めた。紡がれた音の物質化と、周
囲の無音化。

「あれ、じゃ、今もその音を禁じている範囲ってあるんですか?」
「……多分」
「そんでも、音をたてたらまずいんですか?」
「そうなるな」

 それでも。
 それだけならば、問題はある意味なかっただろう。
 しかし、そうやって完全な封じ込めを施した地は、他の魔も含めて封じるこ
とが可能だった。
 魔。どんなに力の弱いものでも、根絶することは困難なモノ達。それを都合
よく封じられる場所というのは、本当に魅力だったのだ。
 そしてまた、魔を封じるという際に、その力を逆用して封印を強化する方法
が編み出されたのも、この傾向を助長した。
 魔を封じた周りに、やはり音をもって小さな魔が封じられた。音は幾重にも
紡がれ、蜘蛛の網のように張り巡らされていった。

「で」
 カップの底に残ったお茶をすすってから、青年は言った。
「そうやって現在、街の中は一面音の糸だらけだ」
「………ふえ……」
 何となく呆然としたまま、少年は呟いた。
「……でも、よくそんな街に人が住んでますね」
「主に、魔を封じ続けて何十年、みたいな爺さんたちが住んでるよ。確かに相
当危険な街だし、ただ放っておくと、万が一の時に恐ろしいことになるしな」
「…………ふえぇ……」
 ほけー、と、少年の口は開きっぱなしである。
 青年は苦笑した。
「……お前な。俺の弟子になるって言った時点で、散々聴かせたろ?この商売
絶対薦められない危険なもんだって」
「……はあ」
「爺さんになったってことは、相当に運が良いか、相当に腕が良いか、その両
方か、なんだ。だから、俺達は安心して封じを頼めるし」
「…………」
 こっくりと、少年は頷いた。けれどもやはり、顔色は、焚き火のちらちらと
揺れる灯の元でも、それと分かるほどに悪かった。
「だから、声を、封じるんだ。だから、今日はここで泊まって、さっさと用事
だけ済ませて、さっさと出る。……分かったな?」
「はい」
 やはり、こっくりと少年は頷いた。

 火を出来るだけ小さくし、袋を枕にして丸くなる。
 草原の夜は、この季節結構冷える。
「……大丈夫か?」
「はい」
 元気の無い声に、青年は困ったような顔をしたが、
「そか」
 それだけ言って、マントを身体に巻きつけた。
「じゃ、明日は早いぞ」
「……はい」
 ことん、と荷物の上に頭を置く気配があった。
「……師匠」
「ん?」
「師匠も……」
 ためらいがちな声だけが、届く。
「師匠もそのうち、その街に住むんですか?」
「……さあ」
 流石に、青年は苦笑した。
「そこまで、長生きできなきゃあ、話にもならんからな」
「…………」
「おやすみ」
「おやすみなさい」

 眠りにつくほんの少しの間、少年は黙って空を見上げた。
 毎夜、教えられた星の連なり。その一つ一つが封じの力にもなる、と。

 言葉の無い街。
 年老いた魔封じ達が、護る街。
 そういう街が、ある…………

 少年は、目を閉じた。

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