第39回テーマ館「(僕の)街」



変わり行く街。 長谷 風香(はせ かぜか) [2001/05/30 02:50:15]


 君は信じないかもしれないけれど、僕の街は、ちょっと変わっている。
 この街を出るまで、実感無かったけど、最近は、つくづくそう思うようになった。
 僕の街は、とってもスパイシーな香りがする街なんだ。
 インドやトルコのバザールみたいに。
 でも、大学時代の友人は「ここは東京のブロンクス」だってさ。
 僕の街にはね、在日朝鮮人が多く住んでいる地域がある。
 クラスには、必ず在日朝鮮人がいたよ。学校の近くにも、
朝鮮人学校があり、子供達は一種の縄張りを張っていた。
 えっ、嘘だろ?って。
 ホントさ。
 公園を奪い合うのさ。

 僕は、今まで3人の在日朝鮮人と出会った。
 彼らの事について、書かせてくれ。
 一人目は、僕が小学校1年の時、
キムさんという隣に座っていた女の子。
 でも、クラスのみんなは、キンさんって呼んでた。先生までも。
 彼女は初めて僕を――このみすぼらしい僕を誉めてくれた子だった。
 動物公園の写生で、僕はゾウを、出来杉くんは、キリンを描いた。
 必ず居るだろ?出来杉くんって?
 クラス全員の投票で、僕は落選。
「ゾウは見栄えがしない」というのが、大概の、そして先生の感想だった。

 でも、彼女は誉めてくれた。「わたし、ゾウは好きよ」って。
 1ヵ月後、彼女は朝鮮学校へ転校してしまったけれど。

 2人目の「在日」は、高校2年の時だった。名前は知らない。
 自転車での登校時、いつも国道の信号で会う女の子だった。
 チマ・チョゴリの制服を風になびかせて、颯爽と自転車を漕ぐ人だった。
 ある日、彼女が、国道脇の信号で、自転車をいじっていた。
 スピードを落とし、それとなく彼女を横目で見ると、チェーンが外れていた。
 細い手を黒い油で汚しながら、はかどらずも一生懸命に彼女は直していた。
 僕は声を掛け、手伝ってあげた。
 自転車を直すと、お礼にと言って、缶ジュースをおごってくれた。
 それからというもの、僕らは毎朝、国道脇の公園で
10分間のおしゃべりを楽しんだ。
 彼女が教えてくれた言葉。――「カムサハンミダ」。
 ハングル語で「ありがとう」って、意味だ。

 3人目の、朝鮮人は、大学時代に知り合った韓国からの留学生だった。
 たまたま授業で席を並べたのが、きっかけで彼女と話すようになった。
 彼女は母国語、つまりハングル語が話せない。
 生まれてから、ずっとアメリカに住んでいたからだ。
 彼女はよく冗談混じりで言った。
「母国語が話せないなんて、笑えるでしょ?」と。
 僕は彼女に、それまで会って来た在日朝鮮人について、
 そして僕の街について話した。
 彼女は流暢に、僕以上に流暢に日本語で答えた。
「朝鮮って言うのは止めて。韓国って言ってよ。」
「でも、日本には、北と南出身の在日がいるんだぜ。」
「韓国は、北をも統一し、<大韓民国>という統一国家を
目指しているんだから・・・。まぁ、日本人のあなたには
分からないことよ。今後あなたと、政治的な話をするのは
止しましょ。だって、食事中に話す話じゃないでしょ?」
 と言って彼女は微笑んだ。
 卒業と同時に彼女は郷里(くに)へ帰った。

 今、3人のKoreanは、どうしているのか知らない。
 そして、僕の街でも、相変わらず子供達は公園で
「縄張り争い」をしているのだろうか?
 自分の街を捨てた僕には、確かめてみる術は無い。
 僕にとっての「自分の街」は、あの時にのみ、存在するのだから。

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