『テーマ館』 第22回テーマ「振り向けば」



 「説得」   by とむ

       屋上の風は強かった。
       8階建ての屋上の柵を乗り越え、私はちょうど建物の角の所に立
      っていた。
       ちらっと下を覗いてみると、私に気がついた野次馬どもが道路一
      杯に溢れていた。パトカーも数台止まっていた。
      「馬鹿な真似はやめなさい」
       警官のひとりが先ほどから繰り返し、繰り返し、拡声器を使って
      怒鳴り散らしている。私には、馬鹿のひとつ覚えみたいに叫んでい
      るあの警官が本物の馬鹿に見えた。
      「さて、そろそろか」
       そう口に出して言ってみた。
       仕方ないのだ。この日本の経済不況の波は私の事業にまで押し寄
      せてきた。もう会社は火の車であった。それに加えて身体の調子ま
      でおかしくなってきた。資金集めに昼夜を問わず、必死で駆けずり
      まわった結果だろう。妻も娘もそんな私に負け犬を見つめるような
      蔑んだ目つきを向けるようになった。このまま生き恥を晒し、地獄
      を見るくらいならばいっそここから・・・
      「あなた!」
       振り向けば、屋上の真ん中ほどに妻と娘が立っていた。警察が説
      得のために呼んできたのだろう。
      「お前たち・・・」
       私は胸が詰まり、涙が出そうになった。やはり家族はどんなつら
      い時でも一緒なのだ。
       妻が私に呼びかけた。
      「あなた!自殺はやめて」
       涙が頬を伝って流れ落ちた。もう一度やり直そう。そしてこのふ
      たりと・・・
      「あなたはガンなのよ!もう少しで保険金が・・・」
      「え?」
      「そう、何のためにママが毎月無理して保険代を払ってたか・・・」
       私は宙へと飛んだ。

(投稿日:09月16日(水)18時21分32秒)