『テーマ館』 第22回テーマ「振り向けば」



 「小説「青空」」   by スガワラ


       彼はどんどん血がしみ出して来る脇腹をおさえながら、人質の若い女銀行員
      を引っ張って走り始めた。
       ――こっちは人質を抱えてるんだぜ? 殺すんなら、一発で仕留めてくれよ。
       やはり足がふらついたが、それでも彼は遠巻きの銀行員達の一角を突破して、
      銀行の奥の小部屋に逃げ込み、中から鍵をかけた。
       そこは殺風景な部屋で、家具も何もなく、壁に窓が一つと、ロッカーらしき
      ものが幾つか在るだけだった。「ここは、何の部屋なんだ?」
      「……資料室です」と、人質は答えた。

       彼は彼女の首に腕を回したままの格好で、壁に自分の背をもたせかけると、
      へたり込むようにして腰を下ろした。彼女は彼の乱れた呼吸の音をおとなしく
      聴いていたが、しばらく経つと、突然、彼の手を振り払って立ち上がった。
       行くんじゃねえ、と彼は叫んで、彼女に銃を向けた。
       彼女は振り返ったが、それ、オモチャでしょう? と答えた。
      「なんでだ?」
      「……だって人質がいて、それで狙撃に失敗してるのに、それでも私を撃たな
      いじゃない」
       彼は黙った。
      「それになんか安っぽいし、押し付けられても冷たくないし」
      「……バカ言うな。本物だよ」
       しかし彼女はそれには取り合わずに、また彼に背を向けた。
      「行くなよ。俺、これから死ぬかもしれないんだぜ? 一人にするなんて、ち
      ょっとひどいんじゃないか」
       すごく勝手な言い草だわ、と彼女は小さな声で言った。無表情な顔でしばら
      く考えていたようだったが、結局、彼女も彼の向かい側に腰を下ろした。

       二人の間に、暫くの沈黙が流れた。
      「何か、話をしろ」
      「……どうして、銀行強盗なんかしたの」
      「仕事が無かったんだよ。就職難民さ」
      「……本当に、ちゃんと仕事、探したの?」
      「探したよ!」
      「本当? 贅沢を言わなかったら、幾らでもあると思うんだけど」
      「いいや、なかったね」と、彼は答えた。
      「本当は適当な理由を付けて、大変そうな仕事から逃げてただけなんじゃない
      の?」と、彼女は意地悪く言った。
       その指摘は本質を突いていて、実のところ、彼はそれに答える言葉を持たな
      かった。
      「逃げてばっかりで、ちゃんと生きてこなかった、罰じゃない?」と、彼女は
      続けた。
      「……うるせえ。お前に、何がわかる」と彼は、しぼり出すようにして言った。
      「じゃあ、あなたは、わかってるの」
      「わかってる」
      「何が?」
       しかし彼は目を落としただけで、やはり何も答えられなかった。

       また二人は黙りこくったが、やがて彼は目がかすんできた事を感じた。
       中途半端な銀行強盗の結末がこれか、と彼は思った。
       ――ひどい。
       彼がもたれている壁にあいた窓から、彼の足元に向けて光が差し込んできた。
      彼は最後の力を振り絞って窓の外に目をやったが、そこには雲間から顔を出し
      た太陽と、ごく普通の青空が広がっているだけだった。

(投稿日:10月19日(月)14時07分32秒)