『テーマ館』 第19回テーマ「ワールドカップ」



 「スポーツ観戦の熱狂の本質。」   by kon



      ワールドカップ最終予選の、岡野のゴールで、飛び上がって喜んだ人
      はどのくらいたでしょうか?

      私は、岡野自身が喜んだ以上に喜んでいたかもしれません。
      この時私は、選手の喜びをそのままダイレクトに感じていたのです。
      この感情は、民族意識とかそう言った感情を飛び越えた、感動であること
      は間違いないと思います。

      あたかも、自分がゴールしたかのような、いや、実際に自分がゴールした
      と感じたのです。これが、スポーツ観戦の熱狂の本質ではないでしょうか?

      あのゴールの瞬間、日本民族の誇りを感じて叫んだ。などという人がいた
      でしょうか? 無我夢中で、叫んでいたのではないでしょうか?

      これは、幼稚園の運動会の応援だろうが、ワールドカップの応援だろうが、
      本質は変わりません。
      幼稚園児が、目の色を変えて、赤組みのくす玉割を応援したからと言って、
      民族意識に燃えているわけでも、選民意識に目覚めたわけでもないのです。

      選手と共に、フィールドに立ち、共に戦うのが、スポーツ観戦の本質と私
      は考えます。選手たちに乗り移って戦うと言った方が適切でしょうか?

      ワールドカップや、オリンピックは、たまたま、国の代表同士が戦うので
      す。選手と共に戦うのが、スポーツ観戦の本質とするならば、自分の一番
      感情移入しやすいチームや人物を応援するのが当然です。

      日本の代表選手の中に、知り合いなど誰もいませんが、アントラーズの選
      手の中にも、知り合いはいません。それ以上に外国のチームに知り合いな
      どいません。

      もし、力と技を客観的に観賞することが、スポーツ観戦の本質とするなら
      ば、優劣を競う試合などする必要はありません。当然のことですが、知り
      合いだからと言って応援することなどもありえません。(勿論、力と技を
      観賞することもスポーツ観戦の一要素ではありますが・・・。)

      しかし、ワールドカップやオリンピックに、民族意識というものがつきま
      とうのも事実です。しかし、それは、スポーツ観戦の本質とは、別なとこ
      ろにあるということは、容易に想像がつくと思います。


(投稿日:05月30日(土)23時35分06秒)