第75回テーマ館「夢の終わり」



笑えぬピエロと笑い姫 ひふみしごろう [2009/12/29 20:56:27]



昔々あるところに一人の笑えないピエロがいました
どんなに笑顔を作ろうとしても
表情は全く反応してくれず
どんなに嬉しいと思っていても
それが表に出てくることは無く
いつもむっつり無表情で、お客も彼を見て笑ってくれることはありません
演技の間は化粧をしているのですが
彼の場合は、どんなに取り繕おうと素の部分の辛気臭さが滲み出してしまいます。

サーカスの仲間達は
「お前が笑わないからだ」と指摘しますが
彼にしてみれば、笑わないのではなく
笑い方がわからないから笑うことができないのでどうすることもできません
彼自身、ピエロである以上笑わせたいのは山々で
実は、いつも一人のときにこっそりと
笑い方の練習をしているのですが
筋金入りの仏頂面は口の端をあげてにっこりする事すら許しません。

「むいてないんですかねぇ」
あまりにも普通の人のように振舞えないピエロはたまに愚痴をこぼしてしまいます
傍らで見守るサーカスの団長も
何とかしてやりたいとは思うのですが
笑顔なんて当たり前のことすぎて
教えてどうこうできるものでもなく
周りで見守る団員達も
どこか不思議なピエロに対し
微妙なぎくしゃくとした感覚をもてあましながら
仲間である以上見捨てるつもりはありません。

そんなこんなでピエロのサーカス団は国から国へ巡業を続けます。

     *

あるときサーカス団はひとつの小さな国に立ち寄りました
街の人たちはみんなニコニコと笑っています
出会う人たちみんなが笑顔笑顔で
あまりにも幸せそうなものだから
不思議に思ったサーカスの団長は町の人々に尋ねました。

「笑い姫のおかげだよ」
街の人たちは口をそろえてそう答えました
なんでも、この国にはいつもニコニコと笑っているお姫様がいて
周りにいるみんながそれにつられて幸せな気分になってしまい
いつのまにか国全体が満面の笑顔に包まれたそうです。

     *

客の受けは上々でした
むしろ団員達の方がお客の熱気に後押しされて発奮しているくらいです
やんややんやの大盛況で
これまでにない盛り上がりを見せたのですが
やっぱり、ピエロの演技のときだけは
あたりがシーンと静まりかえってしまいます。

「むいてないんですかねぇ」
あまりにもいたたまれなくなったピエロはまた愚痴をこぼしてしまいます
傍らで見守るサーカスの団長も
何とかしてやりたいとは思ったので
ここはひとつ、この国のお姫様の神通力に頼ってみることにしました。

団長は笑い姫にサーカスの招待状を届けます。

     *

ついにやってきた招待の当日
客席のひときわ明るい一角は噂の笑い姫です
観客である国民達もこの日はいつも以上に大盛り上がりで
サーカスの演目を楽しみます。

そして、ピエロの出番になりました
ピエロは必死に演技をします
おどけて
ふざけて
おちこんで
走って
ころんで
また起きて
くじけて
うかれて
たわむれて
それでも、やっぱりお客からの反応はいつもと変わりません。

その時、客席からケタケタと鈴を鳴らし損ねたような笑い声が響きます
しんと静まり返ったテントの中、みんなが遠慮がちにその声の主をうかがうと
そこにいるのは上品そうに腹を抱えて笑う、件の笑い姫。

お客の中にまばらではありますが躊躇うような小さな笑いが広がります。

     *

サーカスが終わった後、団長は楽屋に笑い姫を招待しました
近くで見ると、さすがは笑い姫
あっという間に暖かな笑いの輪が広がり
楽屋全体がまるで沢山の蝋燭を灯したかのように明るくなります
そして、しばらく団長達と話しこんだ後
笑い姫はもの珍しそうにあたりをきょろきょろと見まわしながら
化粧を落とすピエロの元にやってきました。

「なんで笑えたんですか?」
はじめて自分のことを笑ってくれた客だったので
ピエロはどうしても聞かずにはいられません
しかし、そんな思いつめた彼に笑い姫はあっさりと言ってのけます
「あんなに必死な空回り、笑わないではいられない」
そのあっけらかんとした答えにピエロは
どこかくすぐったいような
どこか拍子抜けのような

「ひどいな」と照れ隠しに小さな苦笑い。

「なんだ笑えるんじゃないか」
その苦笑いに、笑い姫は思わず呟きます
「いやいや、今のは違うだろ、笑うってのはもっとこう・・・・」
あわてて反論するピエロでしたが
笑い姫はそんな彼をお構いなしに笑い飛ばし
二人で笑いの定義について論議します

ただこうして二人でやいのやいのとやりあいながら
笑い姫は不思議でなりませんでした
何をやっても笑うことが出来ないピエロと聞いていたのに
そうやって話してるときの彼は
彼女には笑っているようにしか見えなかったのですから。

     *

そうして笑えないピエロは笑い姫のお気に入りとなりました
姫はそれからもちょくちょくサーカスにも顔を出し
まるでお城の家来のように彼のことを引きずりまわします
そんなピエロを団長もいい傾向だと思い
サーカスの評判も上々なので
こんな機会もそうそう無かろうと
当初の予定を変更してその国での巡業を延長することにしました。

そんなこんなでひとつの季節を過ぎたころ
お城である催しが開かれます
街に住むみんなが招待され
もちろんサーカスの団員達も呼ばれました
18になった笑い姫の誕生日のお祭りです。

     *

祭りに向けて人々が浮かれる中
ひとりだけ憤懣やる方ない思いを抱いている者がいました
城から離れた、深い霧の立ち込める森に住む
憎しみの心に凝り固まった、人間嫌いの魔術師です。

自分だけ祭りに招待されなかった魔法使いは
ギリギリと呪いの言葉を口の中で噛み締めます
実際のところは、その森に彼が住んでいることをみんなが知らなかっただけなのですが
憎しみを糧としている彼にはそんな事まで思い至る余裕はありません

「ちょうどよかった・・・」
彼は心の中で呟きます
笑顔を運ぶお姫様、その噂は彼の耳にも届いています
知れば知るほど目障りで
聞けば聞くほど耳障りで
しばらくなかった憎悪の矛先に
まるで慈しむかのごとく
ここぞとばかりに心の中の鬱屈した塊をこねくりまわします
その顔は久方ぶりの悦楽の為
すっぽりと抜け落ちた無表情の中
口の端だけがにんまりと、えもいわれぬ笑顔を浮かべているのです。

     *

そして、暖かな日差しの中、お祝いのお祭りは開かれました
人々は、広場にずらりと並べられたテーブルから思い思いの料理を手に取り
にぎやかな雰囲気の中、笑い姫の18歳の誕生日を祝福します
ある者はピカピカに光る楽器から雅やかな音色を響かせ
ある者は手にした小道具をくるくると見事に操りながら
ある者はほろ酔い加減の赤ら顔ながらも、腹の底に響くような歌声で
あたり一帯やんややんやの大喝采です
笑い姫も大勢の人からのプレゼントを両手に抱えきれないほど受け取りながら
ピエロをお供に、いつも以上の満面の笑みをたたえてお祭りを楽しんでいます

その時、お日様の光をさえぎって真っ暗な霧のようなものが皆の頭上に湧き起こります
雨雲とは違うその陰鬱な気配に、その場にいた皆は不審に思うのですが
つづいて轟く大音声で、そろって首をすくめます

そしてその場に現れる、あるひとりの男。

     *

魔術師はあたりをぐるりと見回します
そこにあるのは能天気そうな国民達の困惑した顔、顔、顔
全く現状を把握しておらず、逃げようする素振りも見せないその様に
内心で舌なめずりをしながら目指す人物を探します。

それは噂のプリンセス
幸せを振りまく笑いの王女
憎悪を愛でる彼とは対極の
解釈不能の異端の女

     *

「私と勝負をしませんか?」
雷のような轟音と共に現れた男が笑い姫に向かいそう告げます
「私を笑わせられたらあなたの勝ち、私が笑わなかったら私の勝ち」
周りで見ていた人々は、いきなり現れて変なことを言い始めたこの男に戸惑いの視線を
投げ
ただひとり、王女の隣に控えていた道化師は
男の発する不穏な空気をいぶかんで、ついと彼女をかばうように自分の後ろに引き寄せ
ます
だが、そんなピエロのことは目に入らないかのように
魔術師の視線は笑い姫だけに注がれて

「あなたが勝ったら私は退散するということで
    ────私が勝ったらあなたは永遠の眠りにつくということで。」

さすがにきな臭い雰囲気を感じ取った衛兵が男をおさえる為に前に出ますが
魔術師がすいと腕をかざすと黒い靄のようなものが流れ出て
何人かいた兵隊は、為す術も無くばたばたとその場に倒れ伏してしまいます
「こんなふうに・・・・ね」
間髪おかず、怒りに任せて飛び出す街の力自慢の男達
しかし、魔術師がひょいと腕をかざすと今度は雷のようなものが迸り
それに撃たれた男達はあわれ石の像へと早変わり

残ったものはこの早業にうかつに手を出せず
どうすることもできません

「皆を元に戻せ」
倒れた者が眠ってるだけということに気づいた笑い姫はピエロを押しのけて魔術師に言
い寄ります
いつもはにこやかなその表情も、怒りにかられてカンカンです
勝負だ何だと男は言っていますが
笑い姫には何のことやら意味がわかりません
なぜなら彼女は、いつもただそこにいるだけで
計算づくで周りの人を笑わせているわけではないのですから
そもそも、はなから笑う気のない人間を
一体誰に笑わせることが出来るでしょう
幸せになる気がない人間の下に
幸せが訪れることは決してないのですから

事ここにいたり、魔術師もようやく自分の勘違いに気づきました
てっきりなんらかの魔法で周りの人間を篭絡しているかと思いきや
笑い姫の様子からは魔術の「ま」の字もうかがい知れません
憎しみでなければ力を行使できない自分とはまったく別のその在りように
ただただ怒りを覚えていたのに
蓋を開けてみればこのとおり
噂の祝福のプリンセスは
なんてことはないただの小娘だったのですから。

しらけた気分の魔術師は、王女に眠りの魔法をかけます。

     *

「みなを元に戻したくば、この俺を笑わせてみせろ」
その言葉を残し魔術師は一陣の風と共に立ち去ります。
後に残された者たちの顔に
いつもの笑顔はもはやありません。

     *

眠りについた笑い姫
今となっては目覚めることはありません
あんなに笑顔しか知らなかった顔にも
冷たい能面のような無表情が張り付くのみです。

王様は魔術師討伐のために屈強な戦士を呼び集めました。
しかしその出発から6日後、お城に届けられたのは戦士達の石像です
つづいて集められたのは、国中の笑わせ師
とびぬけてひょうきんな者
とびぬけて話術の巧みな者
とびぬけて笑える芸のできる者
様々な者達が皆の笑顔の為に旅立ちますが
その国に笑顔が戻ってくることは
もはやありません。

そんな中、笑えないピエロも旅立とうとしますが
周りの皆に止められてしまいます
ピエロのつたない演技では
誰も笑わせることが出来ないからです
彼は王女のお気に入り
みすみすやられに行くようなことは
笑い姫も望んではいないでしょうから。

「──────────」
あまりにも己のふがいなさに、もはやピエロは言葉がありません
傍らで見守るサーカスの団長も
かける言葉は見当たらず

結局、ある日ピエロはふいといなくなってしまいました。

     *

笑えないピエロは魔術師のすみかを目指します
深い霧の立ち込める暗い森
手を伸ばした先も見えづらいような濃い靄を抜け
そしてその森の深奥の小さな塔の上
ゆっくりと苔むした階段を上っていくのです。

     *

「またか」
使い古された大仰な玉座めいたものに腰掛けて
魔術師がつまらなそうに呟きます
ピエロは一言も発せずにペコリとお辞儀をすると
そのまま演技に入っていきます。

おどけて
ふざけて
くちずさみ
走って
ころんで
跳ね起きて
踊って
うかれて
たわむれて
勇んで
嘆いて
心をこめて

笑えぬ三枚目一世一代の大舞台
やむこと無く延々と続けられます

しかし、玉座に腰掛ける魔術師は
「あ〜、もういいから」と、あくびまじりに拍手をします
あまりに辛気臭いピエロの演技
見られたものではありません
これまでにきた者はそれなりに笑わせようとするセンスを感じましたが
今度のピエロはとびぬけて下手糞です
話にならないそのレベルの低さに
魔術師もあきれて苦笑い。

「笑ったな」
目ざといピエロはその一瞬の苦笑いを逃しませんでした
「いや、今のは違う!!」
あわてて否定する魔術師ですが、今の笑いで自分の魔法が解けつつあることは
己が一番良くわかっていました
もはや手遅れ
彼がかけた魔法は程なく効力を失ってしまうでしょう。

一瞬の油断とはいえ
こんな下らないピエロに一杯食わされたことに
魔術師は歯軋りして悔しがります
せめてこの上はと業を煮やした彼は
喜ぶピエロに向けて両手のひらをかざします。

瞬く間に紅蓮の炎に包まれる道化師
燃え尽きた後には何も残ることはありません。

     *

溜飲を下げた魔法使いは
声を上げて笑います
もはや我慢する必要はないのです
怪鳥のような声を上げて
心ゆくまで久方ぶりの心の開放を喜びます。

しかし、その笑いはなんと空虚なものでしょう
気違いめいた声は全く空々しき響き
そして、その相貌にはひとかけらの喜びの残滓すら見出すことは出来ません
魔術師自身もようやく気づきました
己のがらんどうの嘲笑と
憎悪を力の源とする彼が
あまりに薄っぺらな憎悪しか持ち得なかった事に。

その呆れ果てる程の不様さは
憎悪と呼ぶのもはばかられ
そんな八つ当たりじみた惨めな在りようには
憎しみもまた匙を投げることでしょう。

     *

魔術師はあわてて逃げ出します
このままここに留まっていたら
どんな仕返しをされるかわかったものではありません

自らの薄っぺらな憎悪を自覚した彼には
今となっては薄っぺらな力しかふるえないのですから。

     *

その頃お城では、笑い姫が永い眠りから目覚めました
夢の中で一部始終を見ていた彼女は
あふれる思いに潰されそうになりますが
もはや帰らぬ友の思いを汲んで
ぐっとすべてを飲み込みました。

そして、ひとつゆっくりと深呼吸をすると
周りを囲む皆の顔を見回して
これ以上ない満面の笑みで
夢の終わりを告げる「おはよう」という祝福を────

     <おしまい>



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