『日本語を翻訳するということ』

牧野 成一 著 『日本語を翻訳するということ 失われるもの、残るもの』 中公新書2493 2018/6/20

2019/11/17〜  

日本語を英語に翻訳するときに何が消えてしまうかを論じた本です。日本語を手話で表そうとするときに何が問題になるかの参考になるかと思い買いました。2018年6月の本がBOOKOFFに200円であったのはびっくりしましたが、本屋で買った人が古本として売ったようで2018.7.27という書き込みがありました。

日本語を英語に翻訳するときに音と表記が消える。言われて見れば当たり前のことですが、なぜかびっくり。日本語は、ひらがな・漢字・カタカナで表記されるが英語ではその使い分けも消える。

言語の響き、つまり音には象徴性がある。基本的な助詞の語頭の子音が口蓋音の[k]/[g]か鼻音の[m]/[n]/[N]かで、「冷たさ」「客観性」対「感覚性」「主観性」という音象徴を表す。音は単なる音ではなく、象徴性があり、翻訳ではそれらは消えてしまう。

日本語は名詞が単数か複数かを示す接尾辞をつけなくてよい。芭蕉の「古池や かはず 飛び込む 水の音」をラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、Old pond frogs jump in sound of woter と複数に訳している。「枯枝に からす乃とまりたるや 秋の暮」は芭蕉37歳のときの作だが、芭蕉は49歳のときに俳画に讚として「かれえだに からすのとまりけり 秋のくれ」を書いたが、その俳画には複数の烏が枝に止まっている様子が描かれている。


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