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聴覚障害児の表現の誤り傾向(改題:2005年7月)

聴覚障害児の日記指導 −表現の誤りを中心に−

竹村 茂

Guidance of Diary in Hering Impaired Student
-About an Error in Writing

S.Takemura

2005/08/04〜  

筑波大学附属聾学校紀要 第3巻 昭和56年3月 41ページ〜46ページ


1.はじめに

  2.誤りの類型

   2・1 音韻の誤り

   2・2 語彙の誤り

    2・2・1 名詞

    2・2・2 用言

    2・2・3 助動詞と接尾語

   2・3 文法の誤り

    2・3・1 助詞

    2・3・2 アスペクト

    2・3・3 テンスと時の表現

    2・3・4 ヴォイス

    2・3・5 述語

    2・3・6 副詞

    2・3・7 接続語句

   2・4 構文の誤り

  3.まとめ

1.はじめに

聴覚障害児の文を読むといわゆる「ろう的な」文章に出会うことが多い。現在筆者が担当しているクラスの12名の中には、非聴覚障害者と同じ正しい文を書く生徒もいれば、「ろう的な」まちがいの多い文を書く生徒もいる。正しい文を書く生徒の中にも、高校生らしい内容を示す生徒もいるし、いまだ小学生くらいにしか思われない幼い生徒もいる。「ろう的な」文を書く生徒の中にも、文を書くのは大好き、日記を書かせれば毎日大学ノートを埋めてくる生徒もいれば、10行書くのがやっとですという生徒もいる。生徒の実態は多様であるが、今回はその中から一つのケースをとりあげて事例研究を行いたい。

研究対象としたのは、筆者が担当しているクラスの一女生徒の日記である。大学ノート一冊に昭和55年の1月24日から4月2日まで、40日分の日記が書かれている。ノートは左のべージに一行ずつ間をあけて書くように指導している。間をあけさせるのは、訂正の書き入れを赤ペンで行うためである。右のページは担任が書くためにあけさせてある。このページの目的は二つある。

一つは担任の所見を書くためである。日記指導をする際、肝心なことは「持続」ということであろう。日記を書く当人が日記を好きであるというのが前提であろうが、自分の書いた文に対して反応があるというのも、日記を持続して行く上で大切な要件であろう。高校生段階での日記はプライベートなものであるべきだという考えが一方にあるだろうが、文というものはそもそも伝達を目的として成立しているものである以上、明確な読み手を想定して日記を書くというのも、日記を持続させる一つの有力な方法であろう。事実、「アンネの日記」は仮空の読み手を設定しているし、現在の高校生の間でも交換日記や文通がさかんである。従って、担任の所見といってもそんな固苦しいものではなく、日記に対する感想であったり、意見というよりも対等の立場に立っての反論だったり、あるいは担任のその日前後の日記だったりする。

もう一つの目的は文章指導をするためである。いったい高校生段階での日記指導とはどんな意味をもつのであろうか。聾学校小学部段階で学級担任が行う日記指導とはその趣旨が異なるのであろうか。高等部では授業は教科担当制で行う。筆者は社会科を担当しており、社会科の内部では科目担当制になっているため、担任したクラスを一年の時には教科指導しないのである。このような点からも高等部段階での日記指導は当然カウンセリング的な面が大きくなる。事実、カウンセリング的日記指導が主体となる生徒もいる。しかし、今回とりあげた生徒に関して言えば、文章指導がまだまだ必要とされるのである。

では、どんなふうに文章指導をしたらよいのであろうか。というのは、誤った文を書いてきたら正しい文になおしてやる、それは当然である。しかし、そんなことは幼稚部・小学部段階ですでに何度となく繰り返してきた(ここまで−9−ページ)ことであろう。それにもかかわらず、まだ誤った文を書いているのが問題なのだ。そこで、訂正したら、それがなぜ誤りなのか、どうしてそうなおすのかまで説明したいと考えた。自分が納得できれば同じ誤りはくり返さないだろうし、一般的に説明すれば、その誤り一つだけでなく他の例にも適用できるだろうと期待した。

 文の誤りを説明するには、二つの難しい問題がある。第一に生徒がその説明をどこまで受容できるかを考えなければならない。本事例の生徒の場合は受容できると考えて指導した。第二に、第一のこととからんでくることだが、どう説明したらよいかが問題になる。文法的、言語学的には明白なことでも、そのまま生徒に説明したら受け入れてもらえまい。受け入れてもらえる説明をするには工夫がいる。また、ことばの誤りに関しては、筆者の能力のせいか、実感ではわかっていても理論ではうまく説明できないことがあまりにも多過ぎるのである。それに、現在の学校文法の範囲では説明できないことが多いのも事実である。言語学の最近の研究を参照して、できるだけそれを説明してみようというのもこの研究の目的の一つである。

以上のような観点から文章指導を続けて行くと、文の誤りに類型性があり、それが思考のパターンと結びついているのではないかと思われてきた。「ろう的な」文章の特徴を傾向性として数量化してとらえるだけならばさまざまな先行業績があり、あえてここに一つの論考を加える理由はないのである。文の誤りと思考の特徴との関連をつかみたいというのがこの事例研究のもう一つの目的なのである。というのは、文は客観的世界の把握とそれに対する主体の認識とで構成されているが、客観的世界に対する主体の認識の部分に文の誤りが集中しており、その誤りの中に思考の特徴を見ることができると考えられるからである。

本論に入る前にこの研究の対象となった生徒の概要を記す。

   H・S

 年 齢 18歳(日記を書いた時点で)

 住 所 家は東海地方の一都市にあるが、現在は寄宿舎にいる。

 教育歴 地方の聾学校の小六を卒業し、附属聾の小五に編入。

 聴 力 右94dB、左94dB

2.誤りの類型

対象とした生徒の日記には誤りがかなり多い。そこで、どんな誤りが多いか類型化しようと考えた。まず、誤りを一例ずっカードにとり、それを目次に示したように12に類型化した。どんな類型を選ぶか問題が多いが、一つの試みとして理解して欲しい。誤りの例は373あり、それをどれに類別するかというのも難しい面があるので後に示す数字は概数として理解してもらいたい。

2・1 音韻の誤り

まず、音韻を誤って記憶している例がかなりある。指摘すればすぐ了解してくれるのだが、何度指摘してもなかなかなおしてくれない。誤りの例は13で全体の3.5%である。

1.今さら(−今から)

2.もどに(−もとに)

3.ホームジック(−ホームシック)

4.なんて(−なんと)

5.さわがう

6.にくらむ

5は「さわぐ」と「さわがしい」、6は「にくむ」と「にくらしい」を混同して活用もまちがえているのであろう。

このような音韻の不正確な理解は、のちに述べるヴォイス(態)の不正確さの原因の一つをなしている。

2・2 語彙の誤り

語彙の不正確な理解が助詞や構文の誤りの原因をなしていると考えられるので、文法の誤りとすべきかどうか迷う例も多いが、語彙の不正確な理解とみなされる例をあげる。

2・2・1 名詞

名詞の意味を正しく理解していない例が69、全体の18.5%ある。例をあげて考えて見よう。(名詞の誤りについて一部は2・2・3のテンスと時の表現で扱う。)

1.午前中はM子さんと市川へ買い物、午後中はTVの女子バレーを観戦……。

(日記文なので人名と地名の一部はイニシャルにかえて引用する。以下略の場合は……で示す。また引用の煩雑さをなくすため文脈の理解が必要な時は(  )で概略を示すこととする。)

2.ハンディさ(←ハンデ、ハンディキャップ)(ここまで−10−ページ)

3.忍耐さ(←忍耐強さ)

4.苦からの伝統さ(←伝統)

これは幼児の言語修得期にみられる「過剰一般化」(「正常児の言語発達」)と呼ばれる現象であろう。「規則がその正当な適用範囲を越えて適用されてしまう現象」で「子供の発話を注意深く観察すると随所に見られ、ことばの発達の過程としては一般的なものであると考えられる」そうである。文例1では「午前」という語には「中」をつけ加えて「午前中」という言い方があるから、「午後」にも「中」をつけ加えて「午後中」と言ってしまったのである。(なぜ「午後中」と言わないのか説明できないため、「午後中」とは言いませんという指導になってしまった。)

「さ」(接尾語)は「多くの形容詞・形容動詞の語幹に付いて、状態的なものを程度概念の名詞に変える働きを持つ。名詞には付かない。」(「基礎日本語2」)ものだが、形容詞・形容動詞の範囲を越えて過剰に十般化して「ハンディさ」「伝統さ」ということばを作ってしまったのであろう。(「忍耐さ」というのは「忍耐強さ」の誤記憶か。)「さ」という接尾語の程度概念を表すという役割を正しく理解していないのも過剰一般化の原因かもしれない。

正常児の言語発達の場合には、このあとに仮説修正過程が見られて、正しい言語規則を修得して行くのだが、この生徒の場合、高校生段階になっても修正が行われていないというのは、やはり言語に接する量が少ないのが原因なのであろうか。

5.母(←お母さん、友達の母親のこと。)

6.夫(←だんなさん、いとこの夫のこと。)

ことばは場面に応じて使いわけなければならないことをまだ正しく修得していない例である。

7.本人からよろしくお願い致します。

日記を書きはじめた最初の日によろしくお願いしますと言ってきた文章である。この子の側でお父さんか誰かが「本人もそう言っているからよろしくお願いします」とでも言ったのを聞いて(読話して)覚えたのであろうか。ことばには同じ対象をさしていても立場がちがえば別の語彙で表現しなければならない場合があることを正しく理解していないようである。

8.気候がめぐまれているのに、私は外出などの計画をたてなかった。(日曜日一日のことを言っているのである。)

「気候」は「各地における長期にわたる気象(気温・降雨など)の平均状態」で対象を抽象的なレベルでとらえている。これに対して、「天気」は「任意の場所の任意の時刻の気象状態」(いずれも「広辞苑」)で対象を具体的なレベルでとらえた語である。同じ対象でも抽象的なレベルでとらえるか具体的なレベルでとらえるかで別の語愛で表現しわけることを正しく理解していない。このことは抽象的な思考の運用を困難にするかもしれない。

名詞の不正確な理解は動詞と結びつくと顕在化する場合がある。

9.養護施設の子供たちは自由を求めることができないので……(−自由に動くことができないので)

「自由を求める」では「自由」は「求める」の対象であり、辞書的意味のままの抽象概念である。「自由に動く」では「自由に」は「動く」のもっている属性を具体化して言語で表したものである。「動く」という行為が行われる時、それは当然何らかの属性(はやく、ゆっくり、まっすぐ、ジグザグになど)を伴っている。表現以前に「自由に」という属性を含んでいる。その属性を被修飾語から抽出して具体化したのが、修飾語「自由に」である。(橋本四郎「修飾」参照)つまり、文例9では文例8とは反対に、同じ語が他の語との関係で抽象的意味を表したり具体的意味を表したりする場合があることを理解していないのである。

10.昼間を過ぎて

11.優勝を頑張ろう

動詞と名詞との結びつきについて現在の辞書は記述していないので、辞書をひきなさいとかんたんに言えないのが悩みである。また、「秋が過ぎて」なら言えるのに、どうして「昼間を過ぎて」は言えないのか説明できない。

個々の単語に関しても現在の日本語の辞書では日本語の独習はできない。たとえば「起源」という語の「広辞苑第二版補訂版」の説明は「物事の起る根源。物事のおこり。はじまり。もと。」である。これでは、

12.インフルエンザになった起源は、303号室のある人が病気になり‥‥‥

という文を誤りとして訂正することはできない。

この生徒の個人的な癖になるのだが、難しいことばを使おうとしてまちがえてしまうことが多い。

13.インフルエンザという疾病にかかって再び健康な状態に復帰しようとする時間は長くかかりますね。

14.竹村先生の意志はどうですか。(考えをきいてい(ここまで−11−ページ)るのである。)

この他、ニュアンスの面で問題のある例は多い。

15.いねむり中に、(お父さんが長距離ドライブの疲れをいやすために車の中で昼寝をしているのである。)

その他の例は省略して次に進む。

2・2・2 用言

用言の語彙的な誤りについて動詞と形容詞・形容動詞にわけてとりあげる。動詞の用法の誤りは2・3文法の誤りでとりあげる。

2・2・2・1動詞

動詞の誤りは43例で全体の11.5%である。いくつかに類型化できる。

<a>「する」の不適切な使用

l.ゆとりする余裕がなくて……

「する」は動作性の名詞につくのが本来の用法である。「ゆっくり」ならば動作性の名詞だが、発音の似ている「ゆとり」は状態を表わすので不適切な使用である。次に「する」単独では具体的な動作を表わさないのに、具体的な意味があるのかのように使っている例がある。

2.火をともしてすれば(←火をともせば)

3.厚生省のするとおり(←指定する)

2は一応「ともせば」と訂正したが、3のように他の名詞が間に入るのかもしれない。

4.10日11日までしようか。

前の文で「休む」という語を使っていないのにいきなり「休む」の代動詞として「する」が出てきている。適切な動詞が思いつかない時「する」をいれてしまうのかもしれない。

<b>「補語」が欠けている例。

5.(息を)ひきとった。

6.(試験を)受けられるかな。

7.書記長という仕事と両立しながら(何と両立させるのかが欠けている。)

6は慣用句だから「息を」がないと意味をなさなくなる。6.7については、文は会話とちがって相手に理解させる努力が必要だということであろう。これは注意さえすれば解決すると思う。

<c> 待遇表現の誤り

8.新しく担当なさっている○○先生。

自分を担当している寮母さんなのだから「下さる」が正しい。

<d> 可能動詞

9.待てられない(←待てない)

可能動詞にすべき所、接尾語「られ」をつけている。

<e> 「行く」「来る」

10.家へ帰ったのは夜10時過ぎ。近いもんだから、走ってゆけばすぐ到着でした。

「行く」「来る」は話し手の位置に応じて使いわけなければならない語であるが、それを正しく理解していない。

11.外国通信社の記者がカメラマンを連れて現れてきた。

この生徒の癖なのかもしれないが、一つの動詞で表わせる所を、より詳しく説明したいと思うためか、二つの動詞を「て」でつないで表わそうとする傾向がある。そのため、ちぐはぐな文になる場合が多い。

<f> 意味の不適切な使用

この誤りが一番多い。

12.名称した。(一名づけた)

13.『鬼はそと!福はうち!』と語りながら……

14.滋賀県と言えば、日本一の琵琶湖が属する所です。

15.値上げをとどまる。

2・2・2・2 形容詞・形容動詞

形容詞・形容動詞の誤りは18例で全体のほぼ5%と少ない。

<a> 活用の誤り

1.大きな混乱して‥‥‥

2.残念ごとに(←残念なことに)

3.好まなかった(←好ましくなかった)

1は連体形と連用形のまちがい、2は活用語尾「な」の欠落、3は形容詞に活用させるべき所を動詞に活用させてしまった例。

4.田舎っぽいな環境

「…ぽい」は形容詞型活用をする接尾語なのに形容動詞の活用語尾を付け加えてしまっている。また、「田舎っぽい」と言えば本来田舎でないものに関してマイナスの評価で言うのだが、ここではそのことを理解しないで使っている。

<b> 「…的」の欠落

5.徹底に

6.能率に

「的」(「名詞に添えて、その性質を帯びる、その状態をなす意をあらわす」広辞苑)を解さないで形容詞の(ここまで−12−ページ)活用をさせている。

<c> 意味の不適切な使用

該当するのは7例で、動詞と比べると例が少ない。

7.○○選手は全日本にとって顔なじみな選手であり……

「顔なじみ」は「お互いによく知り合っていること」という意味であるが、「お互いに」という意義特徴を理解していないための誤用である。

2・2・3 助動詞と接尾語

ここでは助動詞と接尾語を一括して扱う。文法論的には詞と辞の問題がからんでかまびすしいところだが、使い方の微妙なことは共通している。

助動詞の誤りは「ようだ」「そうだ」に集中している。

1.まるで将来、石油不足の問題で地球上の生活がみすぼらしくなる時代が現実におこるような予期を感じたようでした。

予期は「事が起こることをあらかじめ推測して待ち設けること」で、予感は「事が起こる前に、そのことを暗示的に感ずること」(「新潮国語辞典」)である。一方、「ようだ」は「感覚・知覚でとらえられる事柄一般に使用される」(「基礎日本語2」)のだから「ような予期」では意味が一致せず、「ような予感」としなければならない。

2.ホアンホアンは(中略)おしとやかだったランランと違ってキビキビするような活発なタイプです。

これは比況の「ようだ」だが、比況とは「Aとは本質的に異なるBを、感覚的に類似している対象として説明の道具に用いる」(「基礎日本語2」)ので、「本質的に異なる」という条件に合わない。

3.(○○先生が授業開始のベルがなって)10分たっても来ないそうで……

この「そう」は伝聞を表すが、日記の場面では自分もその教室にいて先生が来ないことを経験しているのである。逆に伝聞の「そうだ」を使うべき所で使っていない例もある。

4.○○先生は、現在○○大学生であり、今年で卒業を迎えることになります。

○○先生とは初対面で話をきいたばかりだから「なるそうです」としなければおかしい。

接尾語の誤りは「…がる」「…たい」「…ぽい」などがある。「…ぽい」については、2・2・2・2で述べたので、「…がる」と「…たい」の例をみてみよう。

「…がる」は「形容詞・形容動詞、希望「…たい」の語幹について、三人称の人物(人間および動物)がそのように感じたり、様子をしているさまを叙す」(「基礎日本語」)それを自分のこと(一人称)を表現するのに使ってしまっている。

5.お兄さんがほしがっていた私は、

6.なぜ……を利用しないかと思いたがる。

逆に「…がる」を使うべき所に使わない例もある。

7.点訳してある本しか使えない盲人は、当然悔やむはずだと思う。(←やしがる。)

自分の気持ちを表すのと、他人の気持ちを叙すのでは別の語彙を使わなければならない場合があることを完全に修得していないのである。

8.Nさんは、……学校に行きたい、友達に会いたいと願いたくて(←願って)

一人称の希望を表す「…たい」を三人称の希望に混用している。その前に引用の形で「…たい」を使っているための混乱かもしれない。

2・3 文法の誤り

文法的な誤りをうまく類型化できれば、思考の特徴をつかむことができるのではないかと考える。というのは、日本語の文法型式とは日本語でものを考える時の一つの手順であるからである。

2・3・1 助詞

助詞の誤りは104例と全体の28%をしめ、やはり一番多い。助詞の種類ごとに誤りを数えてみると次のようになる。

<a> 格助詞 68例

「の」を誤用しているのが15例と一番多い。連体修飾の「の」を欠いているのが7例ある。「の」の他にも格助詞を欠いている例は多い。「との」「と」「に」を欠くのが各々2例、「のが」「が」「へ」「で」を欠くのが各々1例ある。「格助詞は、別に、格関係を成立させるものではなく、格関係をはっきりさせるところに、その機能の本質があるとみるべきであろう。」(「助詞(3)

田中章夫)という考えに基づけば、格助詞が省略されてしまう理由もうなづける。

他に「風邪のもとで」「追突の原因で」と主格で表すべきものを連体格で表している例もみられる。これは従属節の中で「の」が主格を表す用法との混同であろうか。

(ここまで−13−ページ)

「に」の誤用が2番目に多く14例である。その中で多いのは「で」とすべきところを「に」とした例である。これはいずれも場所を表す「で」のまちがいである。

場所を表す名詞と動詞が結びつくとき、どのような助詞を介するかには次のような規則がある。(「日本語の文法(上)」)

T 名詞+に+存在を表す動詞

U 名詞+で+動作・出来事を表す動詞

V 名詞+を+「とおる、あるく」の類の表現

U型で表すべきところを、T型で表したのが「で」と「に」のまちがいである。

1.日本坂トンネルに(中略)大きな事故を起した。

2.米国に発売されたスポーツ誌に……

3.○○君の家に△△さんの送別会を行った。

もちろん、「で」と書くべき所を全部「に」と書いているわけではない。場所の表現の「で」「に」の区別が未確立だということだろう。V型「を」の誤りの例はみられない。(例、静岡地方を通る高速道路、高速道路を走っている車は、)

「が」の誤用は10例である。問題となる「は」との誤用は2例である。これは「は」のところでのべる。「を」とすべきもの2例。難しいのは次の例である。

4.寄宿舎でも、最近、インフルエンザの患者が以前より増えている。今日も、307号室の一人が出てきた。

「出てきた」ものはインフルエンザの患者であろうが、「一人が」とするとこの「一人」が主格になってしまう。

5.書く気がなくしていたけど……

これも「が」の誤りとして数えたが、「が」を「母が恋しい」「水が飲みたい」等の対象語格を表す(時枝誠記「国語学原論」)と考えれば、「書く気がなくなっていたけど」と訂正して動詞の誤りとすることもできる。格助詞を正しく指導するためには、動詞の意味と格助詞のつながりをもっと研究する必要がある。

「で」の誤用は7例。「ふだんでは」「昼間では」「私の脳では」の3例とも「では」として断定を強める必要のない文脈で、この誤りが一番多い。

「を」の誤用は6例。自動詞と他動詞との関連で「が」と誤用しているのが2例ある。

6.大きな事故を起した。(←が起きた)

勿論、事故を起した当事者ではないし、主格もないので、こう訂正した。

「と」の誤用が5例。「との」「と」を欠くのが各々2例である。他の一例は、

7.今までやってきたとちがいない。

この「と」は変形文法で言えば動詞の目的節をマークする形式=補文標識である。「と」は「前提をふくまない名詞節に使われる」(久野ワ『日本文法研究』)のだが、「ちがいない」は話者の前提をふくんだ動詞なので「に」書ど変えなければならない。

「から」は「が」と訂正すべきものが2例、「に」と訂正すべきものが1例である。

8.寮母先生からおっしゃったので……

9.○○さんから部屋ごとに豆を分けていた。

10.7時から(中略)集まった。

8.9は「うかがった」「分けてもらった」と動詞の方を訂正してもいい。「寮母先生がおっしゃったので」ならば寮母先生のことを叙しているのに対して、「寮母先生からうかがったので」ならば自分のことを述べているのである。主・客どちらのことを書くかあいまいなまま文をつづっているのかもしれない。(8の例、「うかがう」という敬語が出て来なかったので「おっしゃった」になったのかもしれない。)10の例も動詞と対応していない。

他に「に」が3例「まで」を「までに」としたのが2例、「へ」が2例ある。

11.それをやめて、他の進路に考えている。

「に」のあと省略があると考えればこれでも正しいので指導がむづかしい。

12.道路へとぼとぼと歩いていた犬を見つけた。

この「へ」を「を」となおすのは主観の問題が入ってかなり難しいが、「脇から道路へ」ではなく「道路の中をうろうろと」と思って指導した。

他に、

13.食べたなんだから

14.センバツされたなんだから

という表現をする。この「な」は出所がわからない。

<b> 係助詞 7例

「こそ」の不適切な使用が3例と多い。「こそ」で強調したくても使い方に習熟していないのであろう。

「が」とすべき所を「は」としているのが2例ある。いずれも従属節の中に「は」を使っている。

15.今日は平日で学校へ行っていて、8日9日が入試だったら

16.今から○○君は目の色を変えて厳しくやれば

一方、「は」を「が」にまちがえている2例はいずれ(ここまで−14−ページ)も「対照」の意味で「は」を使うべきところである。

17.値段は高いけれども、品質がよい。

18.(大学の受験勉強には十分な参考書が必要であるが)盲学生のために作られている理数系のものが極端に少ない。

「は」と「が」の混用は以上で、思ったより少ない。むしろ、「は」を使うべき所に「に」を使っている例が多い。

19.私にとって(←私には)

20.睡眠だって(←睡眠は)

<c> 副助詞 3例

「だけ」「など」「くらい」の3つである。

<d> 接続助詞 13例

「ながら」の誤用4例。「ば」「て」各3例。これについては2・3・7接続語句でまとめて述べることとする。

<e> 終助詞 6例

女の子なのに「な」を使う癖がある。終助詞のあやまりはいずれもそれである。

<f> 間投助詞

誤用例はなかった。

2・3・2 アスペクト

「−ている」の使い方の誤りがあるのでアスペクトについて述べる。アスペクトとは「動作・出来事のいろいろなありよう(たとえば一定の過程の中の始まりにあるのか途中にあるのか、どういう方向性をもったものであるか、といったようなこと。)と対応する各種の形式」(寺村秀夫「テンス・アスペクト・ボイス」)である。日本語では「−ている」が各種の動詞と結びつくことによっていろいろなアスペクトを表す。

継続動詞(タべル、アルク、話ス、降ルなど。)に「−ている」がつくと、動作・出来事の進行中であることを表す。

瞬間動詞(死ヌ、落チル、始マル、終ワルなど。)に「−ている」がつくと、ある出来事が終って、その結果の状態にあることを示す。

1.チビちゃん(犬の名)が生きたあの頃は、

「生きる」は継続動詞だから動作・出来事が進行中であることを表すためには「−ている」をつける必要がある。

2.全国的に知られていた交通事故があった日本坂トンネル

この日記を書いた時点では、その結果の状態にあるのだから「知られている」で十分である。過去形にするなら単に「知られた」でよく、「知られていた」では過去の状態になってしまう。

アスペクトの誤りはこの2例しかなく、予想より少なかった。

2・3・3 テンスと時の表現

テンスの誤りもいくつかある。重文の対立節の中で過去形にすべきところを現在形にしたのが3例ある。

1.報告する気はないだが、

2.昔は(中略)住宅はずいぶん少ないだが……

2例とも断定の助動詞「だ」を助詞を介さないで形容詞につけるという誤りをともなっている。

逆に現在形にすべき所を過去形にしてしまった例が4つある。

3.多く払っていたそうだ。(話の前後から考えて現在も払っている。)

4.(油絵に)○年○月○日と目付けした。 (この油絵を見ながら日記を書いているのだから「日付けがあります」とするのがよいと思う。)

助動詞「た」は一般に過去・完了を表すが、確かめを表す場合もあり、また、連体修飾に立つ場合は過去の意味はなく、単に被修飾語の属性を表す(例「折れた釘」)場合もあるので、使い方が難しい。接続助詞「て」で表すべきところに「た」を使っている例が多い。

5.S54年どろ、(高速道路が)開通した以来、事故に会ったことがない。

6.○○へ帰ったまもなく……

時を表すのはテンスという文法形式だけでなく、名詞や連体詞でも表わされる。

この生徒の場合、「今」という語を適切に使えない。「今」とは「発話の時点において、過去と未来とに挟まれた「時」を認識し、表すことば」(「基礎日本語2」)であるが、「発話の時点において」という意義特徴を理解していないのである。

7.実は私は今までピッチャーをやっていて、とても楽しくて、このまま続けたかった。

8.剛広ちゃんとおもちゃで遊んだり長い今夜をすごした。

日記に書いているのだから発話の時点ではない。経験をしている時に使うことばと、過去の経験を述べる時に使うことばとが区別できていないのである。

このことは連体詞「この」「その」の使用法の区別に(ここまで−15−ページ)も混乱をもたらしている。文例7の「このまま」は日記文では過去のこととしてあつかって「そのまま」にしなければならない。逆に「この」とすべきところを「その」と誤った例もある。

9.その文集は、十年はど前から(作られているの)かな?

話題にしている文集は、現在自分たちが引き続いて寄宿舎で作っている文集だから、「この文集」とすべきである。ここでは、十年前のことを言っているのに引きづられて、「その」としてしまったのであろうか。「この」「その」は話題に対する書き手の心理的距離や、話題に対する把握のしかたの相違によって使いわけることばなのに、対象との時間的距離によって使いわけてしまったためのまちがいである。文章は話題に対する書き手の把握(認識)によって構成されるのだということがよく理解されていないようである。

2・3・4 ヴォイス

格と相関関係にある動詞の形をヴォイスという。ヴォイスの誤りの例は22例で6%をしめる。

<a> 自動詞と他動詞との混用 8例

1.電燈が(中略)弱々しくつけていて……

2.○○駅で昼食を済み……

<b> 受け身の混用 6例

3.音楽の条件がふくまない……

4.家族でのドライブ、父の仕事などで高速道路をよく使われています。

いずれも「が」→「を」、「を」→「が」と助詞をいれかえるだけで文法的な文になる。

<c> 使役の混用

5.身体障害者はハンディを背負われている。

6.根気を持たせたおかげで、苦しさを乗り越えてきました。

<d> 「くれる・もらう」の文型

7.私は○○さんにケーキ屋さん、喫茶店などを紹介してくれた。

8.地方から東京の大学に入学することになった学生は、親から入学金・生活費などを払ってくれるのだが……

授与を受ける側が主語の場合は「もらう」にならなければならない。「くれる・もらう」は「行く・来る」と同じように主語の立場が関与する表現であるため、理解が難しいのかもしれない。

自動詞と他動詞はわずかの音韻差で区別される。

(自)つく tuku ←→(他)つける tukeru

(自)すむ sumu ←→(他)すますsumasu

自動詞に−er−、−as−という他動化辞をいれると他動詞になる。(奥津敬一郎「生成文法と国語学」)

使役も受け身もわずかな音韻差なので、聴覚障害児には難しいのかもしれない。

2・3・5 述語の表現

日本語の述語には次の三つのタイプがある。(「日本語の文法(上)」)

T 動詞

U 形容詞

V 形容動詞または名詞+だ、です、である等々。

この述語の三つの形式の混用がみられる。(10例)

1.優しい人に決まっているだと思います。

2.風はおだやかで、気温は変らず冷たいだが、……

1はTのタイプ、2はUのタイプなのにVのタイプと混同して「だ」を附加している。

3.1日12時間も点訳に打ち込む日もあっただって。

4.病院へ行かなければならない人はかまわないだが、なんの理由もないのに、……

3はこれで正しいとしてもよい。3、4を誤りとするなら、二つの考え方がある。一つはT・UのタイプとVのタイプの混同として「だ」を削除する。もう一つは「のだ(のです)」の形とみなして「の」を付け加える。

「のだ(のです)」の意味はきわめてつかみにくいので、どちらに訂正したらよいか非常に難しいが、次の説明に従えば、文例3は「だ」を削除、文例4は「の」を加えるとすべきであろうか。

「ノデス」は、話し手が先に言ったこと、したこと、あるいは、話し手の状態(元気がないとか、外出の身仕度をしているとか)に対する話し手の説明を与える。(『日本文法研究』)

2・3・6 副詞

副詞の誤りは20例で全休の5.4%である。そう多くはないが、副詞の使い方の誤りを生徒に説明するのは難しいので、一つ一つについて例をあげ、どうして誤りとされるのか考えてみよう。

1.惜しくも2−3で敗れたが、さすが一点差ながら立派だった。

(ここまで−16−ページ)

高校野球、甲子園で初出場校が2対3で敗れたことを書いている。「さすが」は「場面、状況、それまでの経過からのなりゆきとして規定されてくる現状を、当然として認める(または認めざるを得ない)気持ちを表す」(「基礎日本語2」)ものだが、初出場校では負けるのが当然と考えられるので、そうでないなら「さすが」を使うにあたって、なぜ「当然として認める」のか説明する必要がある。その説明があれば正しい文になるのであろう。

2.さすがにホアンホアンは死んだランランよりも美人でスマートで毛のつやもよく、健康であり、注目されるのは当然であろう。

これは「さすが」の意義特徴「それまでの経過からのなりゆきとして規定されてくる現状」を理解していないための誤りである。

3.春休みに○○へ帰るとき、新幹線で帰らず、父が車ではるばる迎えに来るんです。どうせ大きな荷物を持って帰るため。

「どうせ」には「事態はすべて大前提に支配され、その基本の流れに従うのだから、末梢的問題を顧慮するのはむだだという、投げやわで無責任な意識が潜む」(「基礎日本語」)のだが、ここでは大前提(「父が車で迎えに来る」)と末梢的問題(「大きな荷物を持って帰る」)を逆にしており、また「投げやりで無責任な意識」という意義特徴を理解していない。

4.むしろ、ハイキングといえば、交通機関をあんまりにも使わなくても、近い所で、新入生達と親睦することが目的だと思います。

「むしろ」は「ほぼ同じ程度の状況にあるA・B二つの事物・事態のうち、どちらかといえばAよりB(あるいはBよりA)のほうが、この場合、より適切であるという判断をする時に用いる。」(「基礎日本語」)のだが、ここでは二つの事態が比較されていないため不適切な文になっている。比較される事柄(ここでは「遠くへ行くよりも」)は省略されてもかまわないのだが、「交通機関をあんまりにも使わなくても」が比較される事柄が入るべき所に入っているためにわかりにくくなっている。

5.9日の夕方、家へ帰ったが、もはや今日寄宿舎へ帰る。

「もはや」は陳述の副詞だから否定と呼応しなければならない。「早くも」との混用とも考えられる。

6.(東名高速の)○○インターにかろうじて降りてまもなく家にたどり着いた。

「かろうじて」は「本来は実現不可能な状況にもかかわらず、すれすれのところで実現にこぎつける意味」(「基礎日本語」)だから、「すれすれのところで」という意義特徴をつかんで使っていて、「本来は実現不可能な状況にもかかわらず」という意義特徴を理解していないため、オーバーな表現になってしまっている。

7.何しろ、印刷等を使わず、わざわざガリ版を利用して、‥‥‥

文集の製作はガリ版を利用するのが普通なので、「わざわざ」はおかしい。「よりかんたんな方法、よりかんたんな解決策があるのにもかかわらず、ことさらに遠回りな方法、余計な時間や労力のかかる迂遠な道筋を選んで、手間暇をかけるときに用いる。」(「基礎日本語」)という意義特徴の後半だけに着目して「わざわざ」を使ったのであろう。

8.学校の名をみると(中略)マンガの『愛と誠』のイメージがぴったりと合っているようだと一層感じた。

「一層」は「比較をともなった強め」なのに、ここでは単に「強め」の意味で使っている。

9.ほんの緊張でした。

「ほんの」は「程度の副詞」だから「少しの」を伴わないと状態を表すことはできない。

副詞では動詞のもつ動作・作用に属する概念の表現と、話し手の対象に対する種々の気持ちの直接的な表現とが一つの語彙の中に併存していることがあるので、使い方が難しいのであろう。

「さすが」では文例1で「当然として認める」、文例2で「それまでの経過からなりゆきとして」という意義特徴でつまづいている。「どうせ」では「末梢的な問題を顧慮するのはむだだ」、「むしろ」ではA、Bどちらかという判断を自分ではしているのだが文には表れていない、「かろうじて」では「本来実現不可能な状況にもかかわらず」、「わざわざ」では「ことさらに遠回りな方法」と、いずれも、話し手の対象に対する種々の気持ちの直接的な表現のところで誤りをおかしている。これらはいずれも時枝文法で、辞(主体的表現)といわれるものである。(『日本文法国語篇』)

2・3・7 接続語句

ここでは、接続詞、接続詞に相当する働きをする語句、および接続助詞を十括して扱う。文法的には必ずしも接続詞とみなされない語句も含めて考える。

(ここまで−17−ページ)

文章とは文と文とをつないで思想を展開するものであるから、接続語句は思想の展開の要をなすものである。

この生徒の癖として「または」の多用がみられる。

1.午後はTVの日本リーグ男子バレーを観戦、または趣味の洋裁をやったり、

2.原宿名物の手作りのクレープを食べたり、または

喫茶店でケーキを食べたりして、……

「または」は二つ以上を選択する時に使うのに、「また」の意味で単純な接続に使っている。この「または」の多用には、手話の影響があるかもしれない。

前の表現を受けて、後の表現を導くのは接続詞の役目だが、接続詞を使うべきところにしばしば連体詞「その」が表れる。

3.(日記を自分だけで書くように言われて)、その原因らしく書く気をなくしていたけど、……

4.(去年の九月ごろにも停電があった)その以来、又、起こるなんて、……

「その」は連体詞であるが、「そ」はもともと代名詞であるから「話し手との関係から見たあり方という側面を被修飾語から抽出する」(「修飾一連用と連体−」)のが「その」の役割である。しかし、ここでは「原因」と話し手との関係について述べているのではなく、「日記を自分だけで書くように言われたこと」を「書く気をなくした原因」と判断しているのだから、「それが原因らしく」と判断文にしなければならない。

文例4も「以来」と話し手との関係を述べるのではなく、「それ」と指し示すことによって「以来」と同格の関係で「以来」の起点をはっきりさせるべきところである。

接続詞に関する誤りは14例で他にもまだあるが、ニュアンス、語彙の問題になるので省略に従い、2・3・1助詞の所で保留しておいた接続助詞13例について見てみよう。

5.1学期といえば、新入生と初対面ながら、1日も早く寄宿舎の生活、学校でも、すっかり慣れるようにと、……

6.前に狩猟犬のイングリッシュセンターを飼っていた。(中略)狩猟犬ながら、もちろん父は狩猟の免 許を持っていたので、山へよく連れて行った。

7.シロは車と激突して血まみれながら、まもなく死んだ。

以上のように「ながら」という接続助詞の独特の用い方をしている。まず、「ながら」とはどんな意味か考えてみよう。

「ながら」は「二つの動作や状態が共存することを表すときに用いる語」で次のような意味である。(『基礎日本語2』による。)

T 主として体言について「〜ながらの」の形で、次に述べる動作や状態のようすやありさまが、ある状態のままであることを表す。

U 意志的な動作動詞の連用形について、次に述べる動作と同時に副次的な動作が行われることを示す。

V 無意志的な動作動詞や状態動詞、動詞+ている、などの連用形、形容詞の連体形、形容動詞や副詞の語幹、体言、打消し「ない」などに付いて、その状態や状況にふさわしくない事態・事柄が同時に存することを表す。

T・Uの場合順接、Vの場合逆接になるわけだが、この使いわけができていない。文例8の「血まみれ」は「状態」でありVの場合にあたり逆接になるのだが、順接に使ってしまっている。文例6、7はいずれも名詞についているがTの用法ではない。Tの用法は名詞の修飾語に立っ場合である。Vの用法で体言につく場合と考えられるので、これも逆接の意味になるのだが、順接の意味で使っている。

「ながら」には大きく言って順接と逆接の意味があり、文法的な位置によって使いわけられるということを正しく理解していないのである。

8.東京というものは、表から見れば感じることと、実際に行って見れば感じることとは、まったく違うので複雑だなあと思いました。

これは東京に行ってきた日の感想なので、仮定条件を確定条件に誤用しているのである。

他にも、こういう接続助詞を使えばもっとよくなるのだがという場合が多いが誤りとは言えないので省略する。

2・4:構文の誤り

今までは一ないし二の要素の指摘によって誤りであることを示すことができるたぐいのものであったが、三以上の要素のからんだ誤りとなると構文の誤りとして処理しなければならなくなる。

1.9:00から定例役員会を始めた。話題は、(中略)などを話し合って、

2.2学期といえば、年中行事が一番多い2学期である。

これは、古典の文章や幼児の文章によく見られるもの(ここまで−18−ページ)だから、指導していけばおいおいよくなるものであろう。同じ意味の語句の繰り返しに対して、対応する語句を欠くものもある。

3.渡部さんは「メダルをとるには(中略)ことです」

4.私は、区別していても、結局、政府が大切ではないか。

「−と言っていた。」、「−と思う。」と対応させることが必要である。

5.(サリドマイド児に)まわりの人々は細かい神経と温かい目をくぼっている。

6.銅メダル以上、取れるかどうかは自信満々と言っている。

いずれも動詞と補語がうまく対応していない例である。文例5では、「目をくばる」は「注意して方々を見回す」という意味なので、「温かい」という修飾語と矛盾してしまう。そこで

(「細かい神経」+「温かい目」)×「をくばる」

という構文が成立しなくなるのである。文例6では「〜かどうか」と「自信満々」とが対応しない。

次のような文になると、前後の状況から何を言いたいのか考えて、正しい文章を提示してあげるということしかできなくなってしまう。

7.チビちゃん(犬の名)に家族を悲しませたでき事はあれから遠くもない。(チビちゃんの死で家族が悲しんだのは、今からそう遠くない日のことである。)

8.自分の夢が未知の世界にのぞむようになる。(未知の世界をのぞく夢を見ることができるようになる。)

9.○○(地名)は(雪が)市川に降るほどまったく降らないだから当然びっくりするでしょうね。(○○には市川に降るはど雪は降らないから、当然びっくりするでしょうね。)

3.まとめ

本事例の生徒がどんなところで誤りを犯すかかんたんにまとめると次の三つになると思う。

まず音韻の記憶があいまいである。そのため、似たような発音のことばを混同したり、活用があいまいになったり、助詞等の用法をまちがえたりする。活用や助詞等は音を通して覚えるものであろう。

次に語彙の意味をどんなレベルでつかまえるかという点で問題がある。客体的概念の表現は対象そのものの把握と、主体の対象に対する把握の仕方とを含んでいる。この主体の対象に対する把握の仕方の部分で誤ることが多い。

これに関連して、主体的表現(話し手の対象に対する種々の気持ちの直接的表現)での誤りが多い。

言語は対象一認識一表現という過程的構造を持っており、認識は語彙を媒介にしてなされる。語彙の理解が正確でなければ認識もあやふやなものになってしまうであろう。

最後に対象とした40日分の日記の中で、最も印象的な一日を原文のままかかげて“まとめ”としたい。

 3月23日(日)

ゆうべ遅く帰ってきたというのに、今日の午後1時から母校の時、同級生、父兄の人達も皆で、亡き○○広子さんの家に集合した。○○さんは、私達と同級生であり、4年前、腎臓病で亡くなりました。3年間ぐらい病院に入院していて、憧れの中学生のセーラー服を着たい、そして学校へ行きたい、友達と会いたい、……そういうことを願いたくて、だだをこねた。○○さんを担当していた医者はやむを得ず、1日の午前中だけ学校へ行く許可をあたえた。当時、初夏の6月ごろだった。まっ白なセーラー服に紺の3本線で赤いネクタイを結んでいた。○○さんはとっても嬉しくてたまらなくて、学校へ登校して、私達と再会できた。○○さんと付き添ってきた母もうれし涙。このような日が来ることは、○○さんの最大の念願がかなえたことであった。その時が私達にとっては最後だった。亡くなった日は11月3日だった。附属校の中2で、文化祭終了後、浜松へ帰ったまもなく、○○さんは病院でひきとったという電話が来たのであった。(以下略)

参考文献

  1. 「正常児の言語発達」 林部英雄『言語』1979年 7月号 大修館書店
  2. 『基礎日本語』森田良行 角川小辞典7 角川書店 昭和52年初版
  3. 『基礎日本語2』森田良行 角川小辞典8 角川書店 昭和55年初版
  4. 「修飾一連用と連体−」橋本四郎『日本語と日本語教育一文法編一』文化庁 昭和48年初版 大蔵省印刷局発行
  5. 「助詞(3)」田中章夫『岩波講座日本語7文法U』岩波書店1977年初版

    (ここまで−19−ページ)

  6. 『日本語の文法(上)』 日本語教育指導参考書4 大蔵省印刷局発行 昭和53年初版
  7. 『国語学原論』時枝誠記 岩波書店 昭和16年 初版
  8. 『日本文法研究』久野ワ 大修館書店1973年初版。
  9. 「テンス・アスペクト・ボイス」寺村秀夫『日本語と日本語教育一文法編−』同前。
  10. 「生成文法と国語学」奥津敬一郎『岩波講座日本語6文法T』岩波書店1976年初版
  11. 『日本文法口語篇』時枝誠記 岩波書店1950年初版。

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