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日本語対応手話の言語的特徴と
教育上の意義について

伊藤 政雄  竹村 茂

The Linguistic Features and Educational Effects
of Signed Japanese.

M.Ito, S.Takemura


筑波大学附属聾学校紀要 第9巻 昭和62年(1987年)3月

23ページ〜32ページ

2005/08/09〜 


T はじめに

 成人聴覚障害者のコミュニケーションの方法としては手話・指文字・読唇法などが用いられているが、聾教育の現場では、口話法一辺倒が現状である。アメリカの聾教育においてはトータル・コミュニケーションが普及しているが、日本ではごく一部の学校を除いて、まだまだ取り入れられていない。このことのイデオロギー的、社会的理由はここでは論じないこととして、教育現場における手話の利用の問題に限れば、従来の手話は文法や語彙数の面で日本語の音声と一対一に対応していないので、口話法との併用がしにくいという面がある。この実践上の障害が、手話を使用すると口話力が落ちるという幻想とともに、聾教育現場への手者の普及を妨げている要因であろう。現在、私たち手話コミュニケーション研究会では、学校教育やテレビ等の場でも十分に使用できるような大きな語彙を持ち、日本語表現に対応し、読唇法と併用できるように造語した手話辞典の編纂作業を、トヨタ財団の助成のもとに進めている。本紀要論文はその一部を報告して、手話コミュニケーション研究会の考え方に御批判をいただくとともに、聾教育の現場への手話の導入を積極的に進める契機となればと考えている。

U 現在の手話が音声語にうまく対応しない例

 手音を口話と併用するとまごついてしまうときがあるが、それは手話が音声語と一対一に対応していないからである。よく言われる例をあげてみる。

 『使う』という手話も、左の手のひらにお金の形の右手をおき前へ出す形なので、『お金を使う』のときはよいが、『頭を使う』や『事を使う』のときは『考える』や『車に乗る』の手話を使う必要がある。

『使う』の手話 従来の手話

右手が「お金」の手話なので「お金」の意味に限定されてしまう

『使う』の手話 新しく考案された手話

「人を使う」「頭を使う」など、どんな場合の「使う」も表現できる

 また、『あがる』という音声蕎に対応する手話は、全日本聾唖連盟の『わたしたちの手話(5)』では、次の13の使い分けが示されている。

1.階段をあがる。

2.エレベーターであがる。

3.家へあがる。

4.物価があがる。

5.月給があがる。

6.格があがる。

7.成績があがる。

8.臍があがる。

9.印刷があがる。

10.試験であがる。

11.名があがる。

12.雨があがる。

13.体温があがる。

 現在の手話は手の形が、音声語の音に対応するのではなく、音声語の意味に対応しているために、手の形が具体的で意味と象徴的に結びついているときには、音声語の意味の一部分しか表さないことが多い為に、上記のような使い分けが必要となるのであり、日本語教育の場ではふさわしくないということになるのであろう。(ここまで−23−ページ)

 そこで、次のような比較的写像性の少ない『あがる』という手話を考えた。

『あがる』改善案

どんな場合の「あがる」にも使う

V 日本語対応手話の言語的特徴

 日本語対応手話の言語的特徴を考えるにあたって、まず考慮しなければならないことは、日本語対応手話が現在の伝統的手話または中間型手話にどんな影響を与えるかであろう。そのためには、第一に音声言語と手話言語との差異について述べなければならない。

 ソシュールは『一般言語学講義』の中で音声言語の記号の特質として、「記号の恣意性」と「能記の線的特質」をあげている。ソシュールが言語即音声言語と考えたことの是非はここでは論じないことにして、「能記の線的特質」について見てみよう。

 『能記は、聴取的性質のものであるから、時間のなかにのみ展開し、その諸特質を時間に仰いでいる:a)それは拡がりを表わす、そしてb)この拡がりはただ一つの次元において測定可能である:すなわち線である。(中略)言語の機構はすべてこれに依存する。』

 つまりソシュールの考えによれば『二個の要素を一時に発音することをゆるさない・言語の線的特質』が言語に『統合(syntagme)』という構造をもたらしているということになる。

 音声言語には音声音語の文法があり、伝統的手話には伝統的手話の文法がある。言語即音声言語という考え方を排すれば、どちらも言語として対等に尊重されるべきものであるが、今、日本語対応手話を考えるとき、その日本語は当然に音声言語としての日本語であるから、日本語対応手話は線的特質の中で展開されることとなり、音声音語と同じ特質を持つ『統合(syntagme)』を、つまり文法を持つことになろう。日本語対応手話の造語法の問題として日本語対応手話の文法は考慮されるべきであるが、日本語対応手話が線的特質という原則の中で展開されれば、日本語対応手話は自然過程として、音声言語に似た文法を持つことになるだろうと思う。これは中間型手話が伝統的手話の文法と日本語の文法との折衷として成り立っているのとは、おのずから性質を異にするものである。

 言語学では基本的に『言語はまず第一義的には音声であり、文字は二次的なものである。』と考える。文字が言語発達にはたした役割を正当に評価できれば、この考え方は正しいのであろう。

 日本語対応手話の言語的特徴を考えるに当って、文字の発明が言語の発達に及ぼした影響を考察することは、音声語対応手話が手話の発達にとってどのような影響力を持つかを予測することを可能とするだろう。

 まず音声言語と文字言語との主な相異点を列挙してみよう。

 『書かれた言語は話された言語と違ってコンテキストが欠けている場合が多いので、それを読む人の反応は一定時間のあとでおこること。読む場合の方が複雑な広い情報を把握し易いこと。読む場合は時間に制限がなく、もどれるし、繰り返せること。読む方が全体を見渡せること。』(千野栄一『注文の多い言語学』)

 文字言語という助けがあってはじめて言語は長い複雑な概念を表せるようになったのであろう。

 『分節という近代言語学にとって不可欠な概念は、言語が音声言語としてのみ存在している限りそれほど重要ではないが、言語が文字によって表現されるようになると、分節ということが初めて重要な意味を持ってくる。(中略)文字こそが言語の分節の基本であって、文字がなかったら、言語を分節するという考え方には到達しなかったに違いない。』(同前)

 日本語は通常、音声と文字という二つの方法で表現される。日本語対応の手者を考えるということは、日本語が音声と文字と手話で表されるということであるが、と同時に手話が音声を通じて文字と結びつくということになり、このことは文字の持つ言語としての豊富な資産を手話に導き入れる可能性を開くものであろう。

 次に日本語対応手話の造語法の原則について述べる。

 音声言語と手話を比較して問題になることは、音声には写像性が少ないが手話はどうしても何かに似てしまうということであろう。(ここまで−24−ページ)

 しかし、幼児の発音を観察すると非常にバラエティに富んでいることに気づく。幼児は言語を習得していくうちに、バラエティに富んだ発音をやめ、少数の音素(日本語なら26個)に基づいて発音するようになる。音声言語に写像性が少ないのは、離散的な26個の音素を使用しているからである。

 音素が離散的であるとは、音素はごく少数の単位で構成されているので、一つひとつの音素の違いがはっきりしていることを言う。例えば音素/b/と/p/は有声音か無声音かのどちらかとして知覚され、その中間ということはありえない。AかBかがはっきりしていることからいえば音素はデジタル的な単位である。

 文字の発明以前は音声言語の音声も音素が現在のように少数の離散約な単位に整理されておらず、写像的なものだったのではないだろうか。

 ということは、手話も将来、手の形が整理されて音素のように手の形の数が少なくなれば、手の形が離散的な単位となり、手の形の写像性も少なくなるのではないかと考えられる。

 この意味でいわゆる伝統的手話は文字発明以前の音声言語に近い立場にあるのではないかと考えられる。ということは、音声言語が文字の発明により飛躍的に発展したように、伝統的手話も音声語対応手話の導入により、より一層の成長が期待できるのではないだろうか。

W 日本語対応手話の造語法の原則

 日本語対応の手話とは、音声や文字で表現されている日本語を、手指および口形によって表現したものである。日本語対応の手話をつくるには、既製手話がどのような日本語に対応するかを決めていくという方向も考え得るが、ここでは日本語としての体系を考慮して、日本語の語を音声や文字で表記した形を出発点として、それを手話化する方向をとっている。音声や文字による表記に対して、手指と口形による表記とでは、その特性に差がある。その特性の差に対する配慮が手話化の基本になる。

1.一単語一手話の原則

 日本語の単語には、いろいろな意味がふくまれ、それに応じていろいろな用法が生じる。手話には写像性があるので、その写像性を利用して、日本語の意味に応じていろいろな手話をつくると、一つの単語にいくつもの手話ができてしまい、日本語を聞いたときにどの手話を使わなければならないか判断しなければならなくなり、記憶や使い方の学習の負担が重くなる。そこで、日本語の単語一つに手話一つと決めて手話をつくることとした。

2.動作経済の原則

 音声に比べて手指表示の場合ほ動作量が大きいから負担を軽減するために、次の3点から動作経済を配慮する。

ア.手の動く範囲を小さくする。(できるだけ胸の付近とする。)

イ.動作数を少なくし、1語1動作を原則とする。

ウ.動作の繰り返しなどで表示時間が長くならないこと。

『父』(従来の手話で2動作になる)

人さし指で頬をなで親指を前へ出す

『父』(新しく考案した手話で一動作のため音声の『チチ』と同時にやりやすい)

親指で頬をなで、そのまま前へ出す

3.語義等価の原則

 音声も文字も、少なくとも現時点では非写像記号で、その語の意味は日本語文化の中で固まってきたものである。しかし、手話の手の形には写像性があるから、写像内容が日本語とずれた意味を構成する可能性がある。音声・文字または指文字による表示と手話の意味内容が等価であるようにすべきである。次の例のように、手の形(ここまで−25−ページ)がある一定の意味内容を表してしまい、日本語の語義と一致しないときは、日本語対応の手話としては好ましくない。

 『乗る』という日本籍には、「ア・車に乗る. イ・相談に乗る.ウ.インキが乗る」などの意味があるが、指文字『な』の右手を左手の甲にのせる『乗る』という手話では、手の形から『ア.車に乗る』の意味を連想してしまい、『イ.相談に乗る. ウ.インキが乗る』の意味では使いにくい。

 また、先の『使う』という手話もこの例である。

4.相互補完の原則

 普通、音声と文字は併用して発信されることはない。しかし、手指と口形は同時に併用できるという利点がある。この利点を利用すべきで、それは下図のように、手指を枠記号、口形を分化記号とすることに上って、手指記号を口形で意味分化させ、また口形読み取りを手指記号が枠付けすることで容易にすることができる。両者の欠点を相互補完させることによって補うことができる。

 『法律・条令・規約』

(枠記号) (分化記号)   (同形語)
ホーリツ 法律
ジョーレイ 条例
キヤク 規約

5.漢字手話

 次の条件の手話は、できるだけ漢字に対応した手話にする。

a、一つの常用漢字を用いて表示する語。

 例 『雨』

b、語幹に常用漢字を用いて表示する語。

 例『伝わる』

c、漢字を二つ以上用いている語の手話で、その中の一つの漢字でよく代表される手話もその漢字手話として用いてよい。

 漢字手話も手の形の写像内容が漢字が示す意味全部を表示できなければならない。(稀な字義は扱わないでよい。)ある手話の写像内容が必要な字義を全部示していなくても、慣用上、漢字と深く結びついていれば、それを漢字手話として使ってよい。この場合、『手話提示 → 漢字字形の想起 → 字義による意味理解』という心理的経過をたどると考えられる。

『時』

時計の針が動くようすから

 この手話の形は本来『時計』を表すが、現在は『時』という漢字に強く結びついているので、この形は『時』の漢字手話として使うことができる。

 漢字手話は、音読みするときにも訓読みするときにも使用できなければならない。そのとき、指文字を含む漢字手話は、音と訓とに応じて指文字部分を変えてよい。

(音・訓は常用漢字の範囲内とする。)(ここまで−26−ページ)

『町』(まち)

右手は指文字「ま」

『町』(ちょう)

右手は指文字「ち」

6.作業上の原則

 以上五つが基本原則である。次に実際に手話を造語していく上で必要な作業上の原則について述べる。

(1)語義の範囲

 語義の範囲は一定の辞書で示すことにする。ここでは、『岩波国語辞典(第3版)』とする。古語・文語・使用頻度が極めて少ない語義は扱わない。

(2)手指と口形による表示

 日本語対応とは、音声または文字で表された語を『手相と口形』で表示することであるから、音声または文字で表示された語と、『手相と口形』で表示された語は一対一に対応する。一つの手話に複数の音声語が対応していても、口形で弁別できれば差し支えない。(但し、一つの音声語に含まれているいろいろな意味に応じて手話を造ることは、先の『あがる』の例のようになり、日本語対応でなくなるので認めない。)

(3)語形変化の表示

 語幹が同じ語は同じ手話を用いる。語尾変化は口形で表示する。但し、紛らわしいときや必要なときは指文字で表示する。普通動詞に対して可能動詞であることを特に表示したいときは『可能』の手話をつける。活用変化のうち命令形だけは『命令』の手話をつける。仮定形は特に表示しない。

『可能』

「見える」なら「見る」+上図

『命令』

「見ろ」なら「見る」+上図

(4)接辞の表示

 接頭辞・接尾辞は表示することを原則とする。

 但し、紛らわしくないときは口形だけでもよい。

 1音節の接尾辞は原則として指文字とする。1音節の接頭辞はやや高い位置で指文字をする。

 2音節以上の接頭辞および接尾辞は別途に造る。

『各(国)』

敬語や丁寧体を造るための接辞は省略してもよい。

(5)同音形手音

 『雨』と『飴』のような同音異義語は別として、本来同じである語が、多様な語義・用法で用いられていても、同音形なら同じ手者を用いる。

 例 海上にある島。

   お金のある人。

   3000mはある高い山。

   既に話してあることだ。

(ここまで−27−ページ)

『〜ある』

(6)同一カテゴリー語

 意味上同一カテゴリーに属することが明瞭な語が多数あるときは、カテゴリーを示す手話と各語を示す指文字を添えて造ることが望ましい。

 『サバ』(魚が強く意識される動物名)

「サンマ」と区別する必要のあるときは、指文字は「さ」「ば」を表す。

左手は「魚」を示し、右手は指文字「さ」

7.現地主義

 個人名、地名はできるだけ現地で用いられている手話を採用する。

 例 ワシントン

 『ワシントン』の手話はアメスランから採用する。

8.外来語の手話化

 外来語とは外国語由来で、現在カタカナで表示されている語をさすことにする。

ア.既製手話を利用する場合。

 外来語が既に手話化されていて、日本語対応手話の原則にも反しないときは、そのまま採用する。外来語の訳語の手話か意味のよく似た手話があり、その手話を外来語に用いても用法上ずれを生じないときは、そのまま採用する。

例 『オリンピック』

イ.既製手話との差を示す必要がある場合。

 外来語に意味のよく似た語(訳語になることもある)があり、その手話もあるが、その手話では外来語の用法とずれてしまう場合は、新しく手話化するか指文字利用を考える。例えば.ドクターとかアドレスという外来語は医者とか住所とかいう手話が示す意味の範囲より広い意味を持っている。(ドクターには博士という意味もあるし、アドレスにはコンピュータ用語としての特別な意味がある。)

例『アドレス』

「ど」  「あ」

ウ.既製手話に類似のものがない場合。

 手帯と指文字との結合も含めて、手話化を考える。

例 イヤリング  カーネーション

 指文字利用が合理的ならば、指文字を利用する。

例 アニメーション  カリキュラム

エ.アルファベットが日本語の中で定着しているときは、国際指文字(アジア版)を用いる。

 例 K(キロ)  cm

 手話化しているものも原則として国際指文字による。

例 PTA

P T A

 上記の手話化で指文字を利用するときは、2〜3動作(ここまで−28−ページ)を原則にする。手話のある外来語でも特に外来語であることを示す必要があるときには、指文字で示してよい。

9.複合語

1.日本語が単純語であるときは、手話も一動作を原則として、手話の複合による表現は避ける。

 例『鉄道』『鉄』および『道』の漢字手話の複合としないで、『鉄道』として一つの手話にする。

従来の手話

『鉄』 指文字「て」に「金属」の手話

『道』 両手を向いあわせ、そのまま前へ。

『鉄道』(新しく考案した手話)

線路と枕木で表す

2.漢字を二つ以上結びつけてつくった熟語の場合

それぞれの漢字手話を複合させてよい。

 例『主人』=『主』+『人』

『主』 親指をたてた手を上にあげる

『人』 指文字「や」を手首を軸に左右にふる

3.ただし、一語感の強い熟語の場合、漢字手話の複合としないで、一つの手話とする。

 例『青春』『青』および『春』の漢字手話の複合としないで、『青春』として一つの手話にする。

10.一般的な留意事項

1)従来から聴覚障害者が培ってきた感覚を活用する。

 例 顔面両側の前方は未来、後方は過去を示す。

2)性、排泄等表現が生々しくないこと。

3)手ができるだけ口形弁別を妨げないこと。

4)意味の表現に表情を利用しないこと。

 意味を手話の語彙の面で示し、それに表情をくわえて表現を豊かにすることはよいが、手話の語彙が不足するのを表情で補うような表現は好ましくない。

X 日本語対応手話の教育上の意義

 日本語対応手話の教育上の意義についてまとめると次のようになる。

(1)口話と併用しやすい手話であるため、口舌と併用することによって、口話だけ、手話だけのときより分りやすくなる。

(2)日本語が手話で正しく表現できるようになるため、手話が日本語の習得に役立つ。

(3)教科学習のとき、読話に余分なエネルギーをとられず、伝達効果を高めることができる。

 このことをいくつかの例について考えてみよう。

1.漢字手話

 漢字『生』には、常用漢字音訓表で「セイ」「ショウ」「いきる」「いかす」「いける」「うまれる」「うむ」「おう」「ほえる」「はやす」「き」「なま」の12の音訓が認められているが、従来の手話では

 a.「うまれる」「うむ」

 b.「いきる」

 c.「ほえる」

 d.「いかす」

 の4つに分けて手話がつくられており、「き」や「なま」を表す手話はなかった。そのため、意味に応じてa・b・C・dの手話を使い分けなければならず、また、「き」や「なま」は指文字で表すか、ジェスチャーを工夫しなければならない。

 そこで、次のような漢字手話を考案した。(ここまで−29−ページ)

『生』 「生」の字形写像

 これは、『生』という漢字の字形を写像したもので、これなら、「生れる」や「生かす」の他に「生(なま)の魚」「花を生(い)ける」などの場合にも使うことができる。

 日本語には、漢字の熟語が非常に多いので、漢字対応手話をつくれば、その漢字対応手者の取合せで、いろいろな熟語が表せる。例えば、『事』と『物』という漢字手話を組合せて『事物』という熟語をつくれば、次に『品物』や『事実』という手話をつくちときに『事』や『物』の漢字手話が利用できる。

2.付属語

 付属語は、習得過程では手指で明確に表示する。

(1)1音節の助詞は指文字を用いる。

  例『は、が、を、に、で、へ、も、………』

(2)2音節以上の助詞と助動詞は手話をつくる。

『れる・られる』(受身・尊敬・可能・自発)

指文字「れ」の親指を反対側の胸につけ人さし指を胸にたおす。

 助動詞『れる・られる』は『この茸は食べられる』『先生に叱られた』などの場合に使うことができる。

 付属語は日本語の習熟度に応じて使用する。付属語を習得していろ場合には口形に依存してもよい。ただし、付属語の習得過程では手指で明確に表示する。

3.指文字

 現在、日本で広く用いられている大曽根式指文字にはいくつかの問題点がある。

(1)大曽根式指文字は文字対応になっているため拗音や促音の表示が難しく時間がかかること、

(2)アルファベットの指文字に比べて手の動きが大きく動作が困難なこと、

(3)形が似ていて区別しにくいことなどである。

(1)の問題は栃木聾学校では『音対応指文字』を使うことによって解決されている。(2)の問題についてはアルファベットの26文字に対して日本語は50音を表記しなければならないので、困難な面もあるが、まだまだ改良の余地はあるとかんがえられるので、次のような改善案を検討している。

ア.『ス、ナ、ネ、フ、へ、マ』では肘をあげることをやめる。

イ.『シ、ス、ソ.ナ、ニ.ネ.フ、へ.マ、ミ、ム、ヨ』では手首の屈曲を小さくする。(60度程度→30度程度)

ウ.『リ、ノ、モ』では動きを除く。

エ.親指以外の伸ばしている指は互いにつけたままでもよい。

 日本語の音声を伝えるための手段としては現在のところ指文字が一番すぐれていると思う。

 現在、幼稚部を中心に『キュードスピーチ』が広まっているが、キュードスピーチの問題点について神田和幸が『指文字の研究』(光生館)で鋭く指摘しているので、ここに引用しておく。

 『日本人の音感覚ではローマ字や五十音の原理を習わないかぎり、五十音はすべて各音が独立した音である。日本語では英語などのように子音が対立すものではなく、五十音ひとつひとつの音(おん)が対立している。(中略)この日本語にとって基本的な音の単位をモーラという。(中略)日本語のキュードスピーチは音韻的単位(モーラ)に対応していない。(中略)しかし問題は、日本人の音感覚がモーラ単位であることである。(中略)キュードスピーチでほそれと感覚のズレが生じるのである。』(P.34〜35)

Y 伝統的手話との関係

 以上のような日本語対応の手話を広めようという運動(ここまで−30−ページ)に対して、日本語と別の言語としての手話を尊重する立場から、『聾者のアイデンティティ(独自性)』を損なうものだという非難が予想される。しかし、聾者のアイデンティティ主張のため、手話だけ、それも日本語に対応しない手話の尊重を求めるのは、聴こえない人々の情報生活を孤立化させ貧しくしてしまうという面があり、最近急速に進歩しつつある情報化社会の社会生活に対して大きく疎外される危険性もあると考える。伝統的手話はもちろん尊重されるべきで、今後芸術言語として発展していくことが望まれる。

 言語は日常生活に根差しているから、早急な改革は困難であるが、聴覚障害者をとりまく社会環境の急激な変化は、手話になんらかの改善を求めている。

 伝統的手話も日本語対応手話も聴覚障害者の生活のなかで共存して行く可能性があるばかりでなく、日本語対応手話に応じて伝統的な手話が発展的に変化する可能性があると考えられる。

Z おわりに

 本研究は手話コミュニケーション研究会がトヨタ財団の研究助成を受けて行った研究成果の一部です。

 本論文は同研究会のメンバーの研究成果に負うところが多くあります。特に田上隆司氏と玉谷市太郎氏には多大の御援助を頂きましたので、記して感謝の意を表します。

(−31−で終り)


トヨタ財団研究助成

「日本語対応『手話辞典』編纂作成のための総合研究」

1985年度(助成番号85−U−016)


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