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− What kind of sign language should be used in deaf education −
TAKEMURA Sigeru
この論文は,『筑波大学附属聾学校紀要第13巻』(平成2年度・平成3年(1991年)3月発行)に掲載したものです。(37ページ〜42ページ)画像データは含みません。
2005/08/05〜
現在、日本で使われている手話にはいろいろな名称がつけられて分類されている。その中で、最近使われるようになったのが「日本手話」という呼称である。これは従来「伝統的手話」と言われていたものを「日本手話」と言い換えたものである。
もともと「伝統的手話」という語は、栃木聾学校が昭和43年に同時法を始めるときに、日本語に対応した同時法の新しい手話(同時法手話)と従来の手話を区別するために、従来の手話に「伝統的手話」という名をつけたのにはじまる。(『同時法について(T)』)
最近、全日本ろうあ連盟などからは、これを「日本手話」と呼ぼうという提案がなされている。それは「伝統的手話」という用語が「同時法手話」の対極として定義されたということと、「古い滅びつつある手話、少なくともそのように運命づけられた手話という語感をもつ」(日本聴力障害新聞1989年1月号)ことによる。
全日本ろうあ連盟のイデオローグである神田和幸氏は「手話言語学入門(14)」で「日本手話は、独特の語彙と文法をもった聾者の独自の言語である」と定義し「聾教育に日本手話を導入せよ」と論じている。(以下この論文を『聾教育に日本手話を』と略称して引用する。)
聾学校では、わずかずつであるが手話が導入され始めている。その際、どのような手話を導入したらよいか議論の的になっているが、ここでは前述の神田和幸氏の「聾教育に日本手話を導入せよ」という主張を検討し、次に「同時法手話」を発展させた「日本語対応手話が聾教育に導入されるべきである」ことを論じる。
『聾教育に日本手話を』の論文は3部構成になっている。「1.自然言語と人工言語」で、「日本手話は手話であるが、日本語対応手話(同時法手話)は手話ではない」と主張し、次に「2.ろう教育に日本手話を導入せよ」と主張し、その方法として「3.バイリンガル教育」を提唱している。
日本手話と日本語対応手話の問題は、次節「3.手話と日本語の関係」で検討する。
まず「2.ろう教育に日本手話を導入せよ。」についてみてみよう。
日本手話導入論の理由を「最大の理由はろう者が手話を使える社会にしたい」とし、「ろう教育は「ろう者のための教育」である以上、共通手話教育が義務である」「ろう社会では手話が使われているという事実に目をつぶらず、ろう社会への社会的対応を教えるのもろう教育の役目ではないか」と述べている。
この考え方は、その通りであるし、現在この考え方を公式に否定する人は多くはないであろう。
神田氏の主張と、日本語対応手話の考え方の対立点は次の二点である。
第一に「ろう者にまず手話を」としていることである。「言語学的には生後すぐ手話導入するのが理想的で」「ろう児に手話で語りかけたり、手話のできる人を周りに配置する」「同じような環境の子供や手話のできる子供同士遊ばせてやる」のがよいとしている。
第二に「ろう教育に手話を導入する」際、日本語対応手話を導入するのは反対です」としていることであろう。
この二つの対立点は、実は神田氏の次のような考え方から起きている。
「日本手話は言語であり、ろう者はまず日本手話を獲得し、同時に日本語も獲得するバイリンガルであるべきだ」(筆者の要約)
そして言語学者として次のように述べている。
「二つの言語にさらされると相乗効果があり、両方の言語が獲得されるだけでなく、一方だけの場合よりも言語獲得が優れているという報告が世界中でなされています。したがって手話が言語であることを認めるならば、手話と日本語の両方を与えた方がろう児の言語力が高まるわけです。表現を変えれば、手話を導入した方が日本語力が高まるということであり、ろう教育の”常識”とは正反対です」
バイリンガルの方が言語獲得がすぐれているという主張は、神田氏自らが実験して証明したのではなく、「報告が世界中でなされている」というだけでは、手話と日本語の相互干渉の実態を知っている聾教育の現場を説得・納得させることはとても出来ないであろう。
この神田氏の考え方に対して、日本語対応手話の立場では、「まず日本語を獲得することが必要であり、そのためには日本語対応手話が有効である。その上で、獲得された日本語(と日本文化)の上に、聴覚障害者のいろいろな文化の一つとして日本手話も発展するであろう。」と考える。
神田氏のバイリンガル論は、以下の二点で問題がある。
まず第一に、バイリンガルの一方の言語である「日本手話」には、純粋に日本手話を第一言語としている人が存在しないので、バイリンガル教育論は成立しない。
未就学のろう者を除いて、日本語を持たないで日本手話だけで生活しているろう者はいない。
特に日本手話の熟達者で日本手話(伝統的手話)を主張しているような人をみると、殆どが音声言語としての日本語を獲得していて、その上に日本手話を使っているような人たちであり、日本語を第一言語としている。これは、聴覚障害者の社会について詳しい人なら周知の事実であるが、独りよがりの見方であるという非難を避けるために、全日本ろうあ連盟の指導的立場にあった(ある)人の論文から引用しておこう。
その論文は中西喜久司・岸本正美氏の『近時におけるピジン語・クリオール語研究と手話言語』である。中西氏は、全日本ろうあ連盟理事として長い間「日本聴力障害新聞」の編集に携わった人である。
「例えば、全日本ろうあ連盟の事務局長で東京事務所長である河合氏は、都立日比谷高校が東大進学校であった頃の同校に籍を置き、弁論部のリーダーをつとめ、東大文化T類に進学する予定であった。不測の病魔によってその道を断たれ、手話言語の熟達者となる道を歩むことを余儀なくされたとはいえ、手話言語に触れる前にかれは、音声言語・書記言語としての日本語に完全に習熟していた。かれの現在の手話言語がいかに、見た目に華麗であり流暢であっても、それはかれにとって第二言語である。かれの、全国の聴力障害者を指導する思考はちゃんとかれの第一言語である日本語で営まれており、ただそれを伝達する時にだけ、手話言語が出てくる。そしてそれは、伝達の場面と条件によって種々の変種を持っている。(中略)他の全日本ろうあ連盟の指導者たちも、大なり小なりこの河合氏の亜流であり(以下略)」(P.23)
異なった言語が接触したときにピジン語が生じる。ピジン語の話し手を両親とする子どもたちの言語はクリオール語になる。しかし、手話の場合は親から子へという形で伝えられないので、クリオール語化しない。このような言語でバイリンガル教育をするには疑問がある。
このことは前引の論文にも詳しく述べられていることだが、筆者もかねがねそう思って、主張もしてきたことである。
聴覚障害をもって生まれる子の両親は大部分健聴者である。従って大部分の聴覚障害児の母語(親の言語つまり親が所属する共同体の言語)は日本語と言うことになる。
また、両親が聴覚障害をもつ場合でも、両親の希望は手話は否定しないにしても、まず第一言語としての日本語を獲得することである。
神田氏のバイリンガル論の第二の問題点は、音声言語どうしのバイリンガルでは、どちらの言語も聴覚をメディアとしているが、日本語と日本手話のバイリンガルの場合、日本語は聴覚をメディアとした言語であり、手話は視覚をメディアとした言語であるので、音声言語のバイリンガルの理論がそのままあてはまるのかどうかということである。前引の『近時におけるピジン語・クリオール語研究と手話言語』に面白い反論が紹介されているので転載しておこう。
「デービスは、音声言語と音声言語のバイリンガルがコード・スイッチング code-switching で表現されるのにくらべて、手話言語と音声言語のバイリンガルは、手話言語を表出しながら同時に音声言語も発信できるという非常な特性がある」「これをコード・ミックシング code-mixing と名づけ、その研究の必要性を強調」している。(前引論文P.26)
日本聴力障害新聞 1989年1月号所載の神田和幸氏の『手話と日本語の関係』は、手話コミュニケーション研究会が研究を進めている日本語対応手話をとりあげている。この論文の目的は日本語対応手話(同時法手話)が手話でないことを論じて、聾教育に日本手話を導入する地ならしをする事にあるようである。
日本語対応手話は手話であるし、聾教育に導入されるのにふさわしい手話であると考えられるので、この点から『手話と日本語の関係』の神田氏の論点をとりあげ、日本語対応手話の考えを論じる。
神田氏の論文は一般の目に触れるものではないし、かなり癖のある論じ方をしているので、ここでは神田氏の考え方の要点をとりあげ、それに対する考え方を述べることにする。
<論点1>
神田氏は「最初にはっきりさせておきたいのは日本語対応手話は手話という名前がついていますが、手話ではないということです」と述べている。
<反論>
日本語対応手話は日本語の一つの表現方法であると同時に、手話の一つの形である。
神田氏は日本語対応手話は手話ではないと言っているが、では神田氏の言う手話とは何か。神田氏の論文『手話と日本語の関係』を何度読み返しても、「手話」の定義は示されていない。
『聾教育に日本手話を』の論文でも、はっきりまとまった形では手話の定義は示されていないが、「日本手話は、独特の語彙と文法をもった聾者の独自の言語である」と定義している。この定義では、肝心の「独特の」や「独自の」の内容が示されていない。これでは「言語は、独特の語彙と文法をもった人間の独自の言語である」といって言語の定義をするのと同じで、全く定義になっていない。
手話を定義すると「手指で、社会的な一定の約束にしたがって、多様な概念をいろいろに組合せて、表現し伝達できるもの」となるであろう。もちろん、ここでの「手指」の意味は、身体全体や表情も含めてひろく考えている。「社会的な一定の約束」が日本語対応手話のように「日本語の文法」に依存したもの、伝統的手話のように「表情や空間的配置を上手に利用したもの」、中間型手話のように「日本語の文法に手話の語彙をまぜたもの」のいずれであっても、ともに手話の一形態であると考えられる。
<論点2>
また、神田氏は「日本語対応手話は、手話が言語であることを無視した一方的な押し付けであり、強者が弱者を言語的に支配しようとしている。」(要約)と述べている。
<反論>
神田氏のイメージの中には、かっての沖縄などで標準語を広めるために方言を撲滅する運動が行なわれたことや、かっての朝鮮などで植民地に支配国が自国の言語を押し付けようとしたこと、あるいは一つの国家の中で多数民族が少数民族に多数民族の言語を押し付けることなどとがあるようである。しかし、このアナロジー(類比)はなりたたない。
親が自分の子供に自分の言語を教えようとするときに、「それは親の言語を子に押し付けることだ」と抗議する人はいないであろう。また、日本の学校で日本人の子弟に日本語を教えることに同様の抗議をするものもないであろう。
世代を超えて文化を継承することと、上の世代が下の世代に文化を一方的に押し付けることを分けて考える必要がある。文化の継承の問題と、多数民族が少数民族を文化的に支配する問題とを混同して、手話(と教育)の問題を論じるのは、大きな誤解と不毛の対立を生む原因である。
日本語と手話の問題を論じるときに、よく標準語と方言の問題が取上げられる。かつて、標準語教育のために、方言が抑圧された例を取上げて、日本語を聴覚障害者に教えるのは、標準語教育のために方言を禁止するのと同じだという主張である。この主張は、正しい類比(アナロジー)でない。
親は子に自分のことばを教える権利を持っており、教育はこの権利を援助しなければならない。また、日本に住んで日本人として正当に生活するためには、日本語の力を身につけなければならない。これは、障害児であろうと、健常児であろうと、同じことである。ただ、障害児の場合、健常児と方法が異なって来るだけである。差別とか押し付けとかの問題とは別である。
「聴覚障害者の母語は手話である」という主張がなされることがあるが、「母語」を「母から学ぶ言葉」と考えると、両親が聴覚障害の場合を除いて、この考えは成立しないと思われる。また、両親が聴覚障害でも手話よりは日本語に重点をおいて生活している場合には(このような場合の方が多いと考えられるが)この考えは成立しない。
「母語 (mother tongue)」本来の意味は、キリスト教の「父なる言葉=ラテン語」に対して、その民族の言葉を尊重しようということであるから、もう少し広い意味に解せば、「聴覚障害者の母語は手話である」という考えも成立する余地はあるが、現在の成人聴覚障害者は日本語のベースの上に手話を使っているので、手話を母語としている例は少ないのではないかと思われる。
<論点3>
神田氏は「字訳」という目新しい概念を持出して『日本語対応手話は「字訳」だから「珍文を創っている」ことになる』と批判している。日本語対応手話は「長男」を「long-man」と英訳する類のことをしていると述べている。
<反論>
この英語と日本語をちゃんぽんにした喩え話による論の展開には重大な誤りがある。それは、英語と日本語の間には、言語的にも文化的にも共通の基盤がないのに対して、日本語と日本の手話(伝統的手話・中間型手話・日本語対応手話)との間には日本文化という共通の基盤があることを見落していることである。
日本語対応手話では「長」という漢字に「長い」の手話をあてることはしない。
しかし、一般には「長男」を「長い+男」の手話で表わすことが行なわれている。これには2つの原因が考えられる。第一の原因は、手話をする人に日本語の力が不足していて「長男」という語の漢字「長」は「長い」という意味を表わすのではなく、「おさ・かしら・統率者」という意味を表わすのだということに気づかないで「長い+男」の手話で表してしまうことである。もっとも、これは戦後の国語教育が「長」という漢字に「おさ」という訓読みを認めていないことに問題があるのであるが。
第二の原因は、手話をする人に手話の語彙の力が不足しているために、「長男」という手話が分らないから「長い」と「男」の手話を組合せて表わしてしまうということである。これは、手話教育の問題、特に聾教育で手話を教えてこなかったということから起こる問題である。
ところで、神田氏の言う通り「長男」を「long-man」と訳す日本語対応英語は珍妙なものになってしまい、日本人にもアメリカ人にも分らないものとなるであろうが、「長男」を「長い+男」で表わす手話は、現在、多少の抵抗を受けながらも、けっこう通用している。この場合、神田氏の考えに反して、「通訳」ではなく「字訳」としての手話が広く通用しているのである。このことも、手話が日本語の文化の上に成立していることの例証になるであろう。逆に言えば、神田氏が「long-man」なる日本語対応英語を持出して日本語対応手話を珍妙なものだとする論証が成立たないことを示す。
日本語対応手話はもちろん「字訳」だけを目指しているものではない。手話が目で見て理解する言語であるということを十分考慮して、研究を進めている。
<論点4>
神田氏は、手話と日本語の関係は複雑に絡み合っており、「圧倒的優位にある日本語により手話は変容させられている」と述べている。
<反論>
このように手話と日本語を対立的にとらえる見方は間違っている。手話と日本語の関係は対立的にとらえられるべきでなく、相互に媒介しあって発展する関係にある。
それは、
a.日本の手話は日本文化の上に成立している
b.聴覚障害者の日本語の力を高めると手話も豊かになる
からである。
まず、「a.日本の手話は日本文化の上に成立している」をみてみよう。
日本の手話は、伝統的手話であれ、中間型手話であれ、日本語対応手話であれ、日本文化及び日本語の基盤の上に成立している。
中間型手話や日本語対応手話が「日本語の文化」(語彙と文法)の上に成立しているのは論をまたないので、日本の手話が日本語の文化の上に成立している例を伝統的手話(日本手話)に見てみよう。
大原省三氏の『手話の知恵−その語源を中心に−』を読むと、いわゆる伝統的手話の語源が興味深く取上げられている。論点3で言及した「長男」という手話は、「手のひらを前に向けて顔の両脇においた両手を、手の甲が前に向くように反転させながら、頭よりやや高くかかげて親から全財産を相続する」形になっている。説明は、「総領、つまり領地を総べて貰う者」、また「甚六は”順禄”の転化で、順は順序の頂上にあるもの、禄は財産」を表わすとなっている。この手話を理解するためには、まず「長男は親の全財産を受継ぐものだ」という日本文化の正しい理解が必要である。さらに「昔は、長男のことを総領と言った」「総領の甚六という言い方がある」などを知っていると、ますますこの伝統的手話の「長男」を味わい深く使うことができる。
この伝統的手話の「長男」は、残念なことに現在ではあまり使われていないが、伝統的手話の語彙で現在でもよく使われている例をあげてみる。「裁判」という手話は「両手を指文字『タ』の形にして胸の辺りからこころもち前方下にさっと引く」形で、これは「江戸の人気裁判官だった大岡越前守の裃から生れたもの」である。裃は江戸時代の武士や町人の男性用礼服で、特に大岡越前守だけが着用したものではないのだが、江戸町人の間における名裁判官「大岡裁き」の人気で、裃を表わすと裁判の意になってしまっている。この手話は、江戸の文化およびそれを受継いだ現在の日本の文化の上に成立している。
「常識」という手話は「両手の拳を小指の側でうちつける」動作だが、これは戦前の修身の教科書でよく取り上げられた「楠公父子の桜井の別れ」にもとづいている。神戸の湊川で圧倒的に優勢な足利尊氏と戦うことになった楠木正成が死を覚悟して息子の正行に刀を渡して別れる。刀は天皇から賜わったもので、その刀を渡したのは、自分に代って天皇を守れという意味である。戦前は天皇を守ることが道徳だったので、正行が正成から刀をもらうしぐさが「道徳」を表わすことになり、道徳は人間には常識的なことだということから、「常識」の意味も表わすようになった。
『手話の知恵』は、伝統的手話の起源を江戸文化およびそれを受継いだ明治の文化の中に求めている。また、戦前の教育の中にもその起源を求めている。
手話の語源に関するいろいろな論は、言語学の専門家の立場からみればいわゆる「民間語源」(語源に関する素人のこじつけ)として、学問的には正しいものではないかも知れないが、現実に伝統的手話は以上のような語源に関する知識を背景として使われているので、その意味で日本の文化の上に成立していると言える。
また、手話の語彙が日本語の慣用句から成立している例はたくさんある。親指の先で顎を下からつついて「貧乏とか不足、少ない」を表わす手話は、明らかに「顎が干上がる」という慣用句から成立している。「甲を脱ぐ」しぐさはそのまま「まいった」という手話になっている。これも、手話が日本語の上に成立している例と言える。
伝統的手話は、確かに日本語とは一対一で対応はしていないが、このような例からみても、日本文化、特に日本語で表現されて受継がれてきた日本文化と大きく関わってくることがわかる。
伝統的手話のなかには、視覚でとらえられる空間的な形・動きを巧みにとらえたものもたくさんある。それを否定するという意味ではない。ただ、伝統的手話といっても、視覚的なものだけで構成されているのではないこと、また伝統的手話がとらえている視覚的なものは、日本文化そのものであることは忘れてはならない。
また、文の構成の仕方を見ると、いわゆる伝統的手話は、空間をうまく利用できる場合は空間を利用して文を構成しているが、空間の利用ではうまく表現できないときは、特に語順などの面で日本語の文法に依存している。
次に、「b.聴覚障害者の日本語の力を高めると手話も豊かになる」を見てみよう。
確かに手話と日本語との絡み合いには無視できないものがある。日本語が手話に影響して、手話本来の表現をそこなうことはある。
語彙の面で言えば、本来「お金を使う」ことを表す手話を音声語の「使う」に引きずられてどんな場合の「使う」にも使ってしまうことは伝統的手話論者には耐え難いことであろう。文法の面で言えば、空間をうまく利用すれば優美に表現できることを助詞を使って表してしまえば手話本来の美しさや機能を損なうことになろう。
しかし、手話を日本語また日本文化と切り離してしまうなら、語彙も内容も限られた貧弱なものになってしまうであろう。聴覚障害者がふだんから生活している文化を聴覚障害者の文化だけに限定する必要はない。聴覚障害者の文化も大切であるが、日本文化もまた、聴覚障害者の生活に密接に関わっている。
日本語を手話で正しく表せるようにすることによって、手話は日本語からいっそういろいろなものを吸収し、ますます豊かな表現力を持つようになると期待される。
そのためには、聴覚障害者の言語力が豊かである、言い換えれば日本語の豊かさを手話に生かせるだけの力を持っていることが前提となる。
日本語対応手話は、聴覚障害者の日本語の力を高めることをも目的としている。耳から学ぶ機会が限られているか、或いはまったくそういう機会のない聴覚障害者に、視覚的表現を通して日本語そのものに触れる機会をふんだんに与える、そして自分が生活している日本文化をいっそう豊かに享受することを可能にする、それが日本語対応手話である。
<論点5>
神田氏は、日本語対応手話は不十分な英和・和英辞典のようなものであって、まったく使い道がないと述べている。
<反論>
日本語対応手話は聴覚障害者の言語生活を豊かにし、音声語で話された内容を聴覚障害者に伝えるのに、十分に役に立つと考えられる。
これまで伝統的手話の枠内では、十分に表現し得なかったものが表現可能になる。例えば、テレビなどのマス・メディアによる放送内容の伝達、大学や研究の場などで使われる専門的用語・内容の伝達などができるようになる。
このことは、日本語対応手話以外の伝統的手話や中間型手話の発展を否定するものではない。むしろ日本語対応手話を通して聴覚障害者が身につけ得たものをもとにして、手話独自の表現も発展していくだろうと考えられる。
また手話を覚える立場にしても、日本語をベースとした日本語対応手話は覚えやすく、日本語対応手話を糸口にして、手話全体の世界に入っていくことがいっそう容易になるであろう。ちょうど、外来語で日本語化している英単語が覚えやすく、外来語からその単語本来の意味をつかみやすいのと同じである。
日本語対応手話はある意図をもって手話を整理し、一つのモデルにまとめたものである。もちろん、欠点もあるであろうが、新しく作り出される性質を有効に利用して、手話の発展に役立ち、コミュニケーションを豊かにしていくことができると期待している。
この論文の「3.手話と日本語の関係」は先にトータル・コミュニケーション研究会会報に載せた「神田論文『手話と日本語の関係』に反論する」に基づいている。 また、日本語対応手話に対する考え方は、手話コミュニケーション研究会でまとめたものに基づいている。
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