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『聴覚障害』誌 2011年4月号掲載

2011/08/18〜   

用語解説「手話」

筑波大学附属聴覚特別支援学校 竹村 茂

1.聾学校の教員になって手話を学ぶ

手話を知らない教員が聾学校(聴覚特別支援学校)に赴任して手話を学ぼうとしたときに,どのような点に注意したらよいでしょうか。筆者も聾学校に入ったとき,手話を知りませんでした。手話を学んだ方法は次の3つです。

(1)指文字を覚えて,口話のうまい生徒から手話を習う。

(2)全日本ろうあ連盟の『わたしたちの手話』を手に入れ,イラストの手話を覚える。

(3)いろいろな研究会に参加して手話通訳の手話を見る。

今は手話の本もたくさん出ていますし,手話サークルで学ぶ,ビデオやDVDなどの動画で学ぶなどの方法もあります。

2.手話の日本語ラベルに注意する

手話の本は,手話のイラストに動作の説明とともに「日本語の見出し」がついています。専門的には「手話の日本語ラベル」と言われるもので,そのイラストの手話の意味の一部しか表していません。しかし,ほとんどの手話の本には,「日本語の見出し」は「手話の日本語ラベル」であることの説明がありません。手話の初心者は「手話の日本語ラベルが,そのイラストの手話の意味である」と誤解してしまうようです。

筆者が『わたしたちの手話』を読んで手話を学んでいた頃,生徒に荷物を運ぶのをお願いしたら「かまわない」と言われたので驚いたことがあります。生徒は,そのときの表情から考えれば「分かりました」という意味で「かまわない」という手話を使ったのでしょう。

『わたしたちの手話(4)旧版』には「小指でアゴをたたく」という動作の説明と「かまわない」という見出ししかありません。『わたしたちの手話(4)新版』でも「小指であごを2回つつく」という動作の説明だけで,この手話の使い方の説明はありません。

「手話の日本語ラベル」と実際の手話の「意味(ニュアンス)」との差異については,2009年に出た『ろう者のトリセツ 聴者のトリセツ―ろう者と聴者の言葉のズレ』(関西手話カレッジ編・著 星湖舎)がはじめて詳しく取り上げています。この本で取り上げているような手話の用法が手話の辞典に記述されるようになれば,先に述べた誤解も少なくなるのはないでしょうか。

3.手話を使えば通じるわけではない

社会科の授業をしていて「雇う」という言葉が通じなくて困ったことがあります。(図は『わたしたちの手話(2)新版』「雇用促進法」の1「親指を立てた左手を右手2指で引き寄せ」る)「雇用」のような漢字語は通じにくいだろうとは思っていたのですが,「雇う」のような和語が通じないとは予想外でした。確かに「雇う」は目に見えない難しい概念です。「コミュニケーションできないのは手話を知らないからだ。手話を使えば通じる」は大きな間違いだと分かりました。

4.口話法で育った生徒は日本語対応手話を使っている

例えば,「『勝負は時の運』と言いますが,勝てればうれしく負ければ悔しいのは誰でも同じでしょう。」という文章の「が」は「順接の接続助詞」です。しかし,これを「順接の接続助詞」として理解できるのはかなりの国語力です。筑波大学附属聴覚特別支援学校の口話法で育ってきた「生徒」は,音声を手話に置き換えて表現しますから,この「が」を下図の「けれども・しかし」の手話で表します。「けれども・しかし」の手話は,逆接の接続詞や接続助詞の「が」にも使うので,そのまま当てています。

『わたしたちの手話(1)旧版』

「指文字「テ」を示し,サッと裏返す」

これは,意味が違うので,指文字「が」を使った方がいいでしょう。

5.日本語対応手話の特徴

日本語を音声でなく,手指で表すのが日本語対応手話です。

a.語順は,日本語の語順にあわせる。助詞や助動詞は,手指や口形できちんと示す。

b.日本語対応手話の語彙は,日本語の単語のすべての意味を表す。

c.口話との併用を前提とする。

『新・手話辞典第2版』手話コミュニケーション研究会 中央法規 2005年)

手話は目で見て理解する言語ですから,「日本語対応手話の語彙は,日本語の単語のすべての意味を表す」と約束しても,実際の使用では難しい問題が生じます。図の「可能」という手話は「できる」という意味でもよく使われます。(『わたしたちの手話(10)』)

「車の運転できますか?」と聞かれて「できます」と答えるときは,この手話で問題ありません。しかし「できる」の本来の意味は,「それまでなかったものが新たに生じる。発生する。出現する。生まれる。」(明鏡国語辞典)ですから,「行列の出来(でき)る法律相談」の「できる」では使えません。

また,「良い」という形容詞の手話を覚えて「よく」という副詞に当てて使うことがあります。(『わたしたちの手話(1)旧版』「天狗の鼻の形を表す」)しかし,副詞の「よく」の「頻度が高いさま。しょっちゅう。しばしば。「あの店には昔は─行ったものだ」「─ある話じゃないか」」(明鏡国語辞典)の意味で使うには適切ではありません。

口話法で育った「生徒」が最初に使う手話は,日本語を手の形や動作に置き換えていく日本語対応手話になるでしょう。しかし,手話の形や動作は,どうしても見る者にイメージを喚起しますから,ニュアンスで誤解を招くことがあるのです。

「生徒」が聾学校を卒業し,大人の聴覚障害者の世界に入っていくと,日本手話に移行していく場合もあるようです。

「食べる」という手話を口話で「ごはん」と言いながら「ご飯(食事)」の意味で使っています。日本語対応手話なら,ラーメンでもイタ飯でも「ご飯を食べに行こう」で使えますが,日本手話では「米飯」の意味になります。手話単語の形がもっているイメージが徐々に強くなるからではないでしょうか。(『わたしたちの手話(1)改訂版』「右手2指を箸に見立てて食べるしぐさをする」)

6.手話の熟語について

日本の身振りでは,親指を立てると「男」,小指を立てると「女」になり,日本の手話もそれを取り入れています。左右においた親指と小指を中央で合わせれば「結婚」,その反対の動作をすれば「離婚」というのは分かりやすいです。(図は『わたしたちの手話(1)旧版』)







「ひねくれる」の手話は,一つの手話単語というより熟語でしょう。「ひねくれる」の2つめの動作は「色」の手話と同じ動きなので「考える」+「色」ととってしまうと意味が正しく取れなくなります。

   

英語の勉強のときに,“by the back door”は,“ドアの後ろに”ではなく,“秘密に,こっそりと”の意味だと習いました。英語ではよく使われる単語の組合せの熟語の理解が大切ですが,手話でも同じことが言えます。

7.成人聴覚障害者の日本手話

「日本手話」という言い方には,日本手話は日本語とはまったく別の言語であって,「ろう者の用いる手話は,音声言語に匹敵する,複雑で洗練された構造をもつ言語である」という主張が含まれています。(木村晴美・市田泰弘『はじめての手話』1995年 日本文芸社)この主張は「手話が聾教育の場で長い間認められないでいた」という歴史を踏まえている点に注意する必要があります。

日本手話には次のような特徴があります。

a.手話が三次元の空間に構成される言語であることを最大限に利用して,語と語の位置関係や手話の語の動きの方向などで,文法関係を表す。

b.話題にすることを先に取り上げるという語順上の特徴をもつ。音声言語と同じように語と語の時間的な前後関係も文法関係の表示に利用する。

c.手や指,腕を使う手指動作だけでなく,「非手指動作」と呼ばれる,顔の部位(視線,眉,頬,口,舌,首の傾き・振り,あごの引き・出しなど)が重要な文法要素となっている。

d.単語が「写像性」を利用して作られることが多いので,日本手話の語彙と日本語の語彙とは一対一に対応しないことが多い。

e.口話と併用しない。「手話口形」と言われる手話と共に表出される独特の口の形が文法的マーカーとなる。

f.「指さし」が文法マーカーとなる。

インターネットのフリー百科事典 ウィキペディア Wikipediaの「日本手話」の項には,要領よくまとまった説明が載っています。(Wikipedia利用の一般的な注意点で,必ずしも広く認められたものではありません。)

日本手話の特徴のところで「 」でくくって示した「非手指動作」「写像性」「手話口形」「指さし」などをインターネットで検索してみると勉強になります。

8.手話を勉強するときに

私たちが英語を学ぼうとするとき,伝統的方法では,英和辞典,和英辞典,文法書を用意し,テキストを広げます。

しかし。手話を勉強しようとするとき,今までのほとんどの手話の本は,『わたしたちの手話』のように手話の語彙とテーマ別にまとめて日本語ラベルの索引をつけた語彙集か,手話を日本語ラベルのあいうえお順に並べた日本語手話辞典(和英辞典に相当)で,手話日本語辞典(英和辞典に相当)がありませんでした。

最近になって,英和辞典に相当する手の形から手話を調べることができる辞典が出てきました。

『手話・日本語大辞典』竹村茂 廣済堂あかつき出版 1999年

『わたしたちの手話学習辞典』日本手話研究所(財)全日本ろうあ連盟 2010年

また,手話の研究書の中で文法に言及されていることはありますが,初心者が学べるような文法書がありません。手話日本語辞典の充実と,標準的な手話文法書の作成が待たれます。

9.中間型手話の特徴を活用

以前は中学生から英語を学んでいましたが,最近は英語教育の充実を考慮し,小学校からも英語教育が始まっています。

手話を学ぶのは,英語を学ぶよりやさしそうに見えます。日本語対応手話なら,聾学校の教師になってからでも十分学ぶことができます。しかし,日本語対応手話は日本語を手指で表しているだけですから,聴覚障害者とのコミュニケーションには不十分な面があります。「では日本手話を学ぼう」と言っても,日本手話を学ぶのは英語を学ぶのと同等くらい難しいものかもしれません。

口話教育を基本とした聾学校の高等部(専攻科を含む)段階では,日本語対応手話に日本手話の特性を取り入れた中間型手話を使うことをおすすめします。

中間型手話は,日本語対応手話と日本手話の中間的な性格をもつ手話で,主に成人の聴覚障害者と手話を理解する聴者との間で使われます。

日本語の語順に従って表現しますが,空間の配置をうまく利用したり,何が話題になっているかを最初に説明するという日本手話の特徴を取り入れ,日本語の語順に従わないこともあります。

手話の単語が写像性に基づいているということを尊重し,一つの日本語の単語に対して,文脈に応じていろいろな手話単語を使い分けます。

口話と併用しやすいときは口話と併用しますが,併用しにくいときは手話だけになることもあります。

10.まとめとして

英語のあまり得意でない日本人がアメリカに行って英語を話すと,アメリカの人は一生懸命聞いて理解してくれます。しかし,そのアメリカ人が話す英語はさっぱり聞き取れないということをよく耳にします。

聴者の教員が手話を使うときには,「聴覚障害者は聴者の下手な手話を一生懸命見てくれている」ことを意識しなければいけません。聴覚障害の保護者で日常的には日本手話を使っている人も,聾学校の教員と話すときには中間型手話や日本語対応手話に切り替えて(コードスイッチ)対応してくれます。

聴覚障害の生徒は,様々な手段で教員とコミュニケーションしています。その中で,手話は重要なコミュニケーション手段です。コミュニケーション手段の充実がさけばれるようになり,社会的にも手話は認知されるようになりました。聾学校関係者だけでなく,より多くの人が手話にふれ,手話がますます普及することを願っています。

【文献】

  1. 竹村 茂「用語解説:手話(1998)」『聴覚障害』誌1998年6月号

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