「恐竜の里から 中里小のこどもたち」


 今回も毛色の変わった本のご紹介なぞ。

 趣味として「読書」を筆頭に掲げている関係で、かなりの乱読ぶりを示していますが、実際には、私が読む本のジャンルにはかなりの偏りがあります。実は、推理小説は結構苦手ですし、私小説の類はほとんど手に取ることはありません。古典はたまに読みますが、いわゆる「文学」もどっちかというと圏外に出ていることが多いです。太宰(?)や三島(!)は嫌いです(内輪ネタ)。講談社現代新書や岩波新書を数多く読んできて(出版数が桁違いなので、とても全部を手には取れないけど...)いますし、歴史、もしくは、歴史を題材にした小説が一番の好みであることは間違いないところです。



 前置きはともかく、
 今回のこの本はひょんなことから手に取ることになりました。


 この本は、毎日新聞が1997年に一年間かけて群馬県版に連載した記事を収録した、ある学校の一年間の記録をまとめたものです。群馬県一人口が少ない、という山里の村を舞台にした、全学年あわせてもせいぜい生徒が30人にも満たないような、過疎の小学校が舞台です。


 そして、この小学校の数少ない生徒を囲む、先生方、父兄の方々、村のお年よりたち、それに、著者である新聞記者を含めた、この生徒たちと交流をもった人々の物語であります。


 複式学級における「教育」への取り組み、縦に班割をした生徒たちの遊び、人数の関係で廃部にせざるを得ないクラブ活動における最後の日々、子供たちが食事も掃除も全部自分たちで協力しあいながら学校へ通う「共同生活体験」、この村最大の売り物である「恐竜」との関わり、そうして着実に続いていく、生徒たちの歩みを周りで見守る大人達を、丹念に見つめたレポートを読み続けて行くと、子供たちを育てるって何なんだろうな、と思ってしまいます。
 最近の悲惨な子供たちの事件を見るに付け、今の子供たちを異星人のように見かねない感じが、独身者の私なんかには生まれることもあるわけですが(ハイ、私は子供、特に幼児が苦手です(^^;)、それは、もう子供の立場を遠く離れてしまった私のいびつな部分を投影しているだけなのかもしれないな、という気がしてきます。そして、この本を読んでいて、子供たちを、自然に素直に、そしてしっかりと育てて行くのは、大人の暖かい眼差しと真剣な対応があれば可能なんだな、と、そして、それはとても難しいだけにおろそかに出来ないし、逃げてもいけないことなんだな、という風に感じました。


 この本からは、うまく説明できないですが、「熱意」が立ち上ってくるような気がします。子供たちの元気な声、先生方や両親ご家族の教育への熱意、そして著者のそれです。読んでいると、心が洗われるような、そんな読後感がありました。


 私は、感激屋であるところに持ってきて、目の手術の関係で涙腺がとっても弱く(笑)、通勤電車の中で何度か涙が出そうになったさ。(^^;;;


 今回、私が一番いいなと思った部分としては、子供たちが村の将来について話し合う場面に尽きます。過疎の山間、不便な村の暮らしを何とかするにはどうしたらいいか、 これを話し合った子供たちに筆者は問います、「大人になってもこの村に住みたいか」と。.....全員どころか半分の手も挙がらない、利便さの前に無力とも言える寂しい現実。でも次の問い「この村は好きか」には、全員が挙手をした。 こういった意識を持たせられる点で、この教育は素晴らしいものなんだな、と郷土に愛情を持てることはいいことだと思います。それが村のレベルでも、県のレベルでも、国のレベルでもいい。自分の基盤をしっかり捉えられることはこれからの人生できっと役に立つ、そう思います。



 もし機会があったらお読みください、とお勧めしたいところなのですが、この本、簡単には手に入りそうにないですね...希望者がいればお貸しします。柄にもなく学校の授業で書くような「真面目な」読書感想文になってしまったなぁ...


 そう言えば、「ひょんなこと」の説明をしないといけないですよね。この著者である新聞記者とは、実は私のひとつ上の先輩なのです。十八人会22期財務であった永山さんとは、第二外国語(中国語)を同じ先生の下で受けたこともある、学生時代にとてもお世話になった先輩です。最近、私の家に小包が送られてきて、中から贈呈本が出てきたというわけでした。それで手に取ったのですが、こういった本を、教育問題に興味のある人たちの目にも触れさせることができれば、と思い、ここに拙い読書感想を載せた次第です。



 最後に、この本のクレジットを。


 タイトル: 「恐竜の里から 中里小のこどもたち」

 著者  :  毎日新聞前橋支局 永山 悦子

 出版元 :  あさを社

 頒価  :  1,500円

 

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