「民間防衛」


 一作肩の力を抜いたところで(笑)、またまた妙な本を。


 原書房ってこういう本も出すのね(毒)、っていう気がしないではないですが、この本を買ったのは、阪神大震災直後の頃であります。地震関連の本と並べて売っていましたが、本屋さん...多分勘違いしてますね、中を見てないのではないでしょうか?(^^;


 この本には「あらゆる危険から身を守る」という副題がついていますが、これは、タイトルから想像されるような中身の本ではありません。


 はっきり申し上げます。この本は、「スイスが侵略された場合の、国民生活のありかたと、解放戦争の手順、戦時災害(爆撃等)への対処法、レジスタンス等のシュミレーションについて記された本」です。


 スイス国の国防方針、核兵器、化学兵器、生物兵器等の説明、いかなる被害を蒙るものなのか、爆撃にあったときの対処、避難所として用意すべき設備、消化活動の仕方や、土砂に埋まった人の救出活動の手順、応急手当の方法や、緊急持ち出し品として用意すべきもの、戦時の配給の方針、スパイへの対処法、物資の徴発のこと、軍事の動員手順、第五列(日本に過去に使われた言い方で「スパイ、破壊工作等を専門に行う特殊部隊の構成員の呼び名」)への警戒の呼びかけ、諸外国の宣伝・外交による国内混乱化への対応法の教育、臥薪嘗胆・耐えるときには怒りを抑える自重を旨としたレジスタンス抵抗の心構えを説く章、そして、避難所に備えておくべき備蓄品のリスト

 が詳細に書きこまれております。
 スイスの人たちは、永世中立を宣言し、いかなる侵略もしないと誓ってはいるが、だからと言って常設軍の整備と民間防衛体制の維持をおろそかにするものではないようです。自分が生き残り、周辺住民と地域社会が生き残り、最終的に国家を生き残らせるためにこれほどの情熱を傾ける国が他にあろうか?


 本によると、この本はスイスの全家庭に一冊ずつ配布されているらしい。

 「われわれは危険な状態にあるのだろうか」この問いから全てが始まっている。

 「今日のこの世界は、何人の安全も保障していない。戦争は数多く発生しているし、暴力行為はあとを断たない。われわれには危険がないと、あえて断言できる人がいるだろうか。...わが国の中立は守られている。にもかかわらず、それによってわれわれが盲人であってよいということにはならない。」

 「親たちがわれわれのことを心配してくれたように、子供たちのことを考えよう。 自由と独立は、断じて、与えられるものではない。−−自由と独立は、絶えず守られねばならない権利であり、ことばや抗議だけでは決して守り得ないものである。手に武器を持って要求して、初めて得られるものである。」

 「民主主義は、何も生み出さないでじっとしていることと、破壊的に転覆することとの間に通じる、狭い、山の背のような道を用心深くたどらねばならない」

 「法は、われわれすべてを拘束するが、われわれを守るものでもある。われわれも法の制定に参加せねばならない。もし、制度の改善のために何もせず、共同体の管理に参加しないならば、、自分たちの制度について不平を言う資格はない。」



 自由を擁護し、自らの主人であり続けたいと願うのであれば、それ相応の代償を支払う覚悟が無ければならない、その努力を放棄して奴隷に甘んじるのであれば、それもよかろう、我々はそうではない。
 この強烈すぎるほどの意思がまっすぐぶつかってくる本であります。


 この本はハウツー本ではありません。確かに、応急処置の仕方、崩れた家屋からの人の救出、火災の延焼を食い止める方法など、生き残るための方法を記してはいます。多分、大震災後に売られていたのはそのせいでしょう。でも、それは末節でしかないように見えます。


 この本で一番語るべき内容は、最初の「平和」と題する章のさらに導入部である30Pほどの部分、私が上に文をいくつか引用した部分...自らの国家は守るに値いするのか、守りきる覚悟があるか、何を守り、何をなすべきで、何を考えなくてはならないのか、自由とは、民主主義とは、そして、個人の尊厳とそれを守るべき国家の役割とは何か。
 スイス国による自らのための教科書であり、我々はこうする、という宣言書でもあるように見えます。


 訳者の後書きによると、ある書評で「第3次世界大戦が起きても生き残るのはスイス国民だけであろうし、また彼らは生き残るに値いする」と書かれていたそうだ。まさにそんな納得をさせる本です。


 さて、自分たちはどうなのか?


   「民間防衛」   スイス政府 編

     原書房   ¥1,500

 

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