ダイアナ妃

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 故ダイアナ元皇太子妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)と言ったほうがいいのだろうが、ここではダイアナ妃と呼ぶことにする。97年8月31日にフランス・パリでの自動車交通事故でお亡くなりになっているので、ここではダイアナ妃に関する、私の個人的な思い出などを思いつくままに書き並べてみたい。

 私の自慢の一つに、ダイアナ妃と私たち家族が一緒に映っている、一枚の写真がある。一緒にロンドンブリッジを見に行ったときのものだ。ダイアナ妃の笑顔が実に素晴らしい。といっても、観光地によくある、有名人と一緒に写っているように見せるプリクラみたいな物でだが。

 いずれにしても、イギリス内外を問わず、王室関係者でもっとも人気の高かった人たちの一人といって間違いない。その美貌と、優しさ、特に弱者や不幸な人たちへの接し方が人々の共感を呼んでいたし、それとなんと言ってもチャールズ皇太子との結婚、ロイヤルウェディングから離婚まで、話題には事欠くことがなかった。

 ただし普通のイギリス人から見ると、プライベートな事柄を、一部のメディアに簡単に話し過ぎたようなところは"あまり利口なやり方ではない"という印象もあったようだ。ほかの王室関係者は、メディア対策に気を配っている。それに比べてダイアナ妃は、メディアに対する距離感、あるいはしたたかさというものが、あまりなかったからだろうか?

 イギリスで勤めていた職場に王室関係者をお呼びする機会があった。当時はまだ離婚される前だったのだが、"ひょっとしてダイアナ妃が来てくれるかな?"との期待はかなわなかった。「皇太子の"都合がどうしてもつかない時"に限って、皇太子妃がお見えになるという決まりなんだって。」と、同僚のイギリス人も残念がっていた。

 そのときは、まさかこんな結末になるなど、誰一人考えもしなかった。実物のダイアナ妃に直接お目にかかる機会が永遠に失われたことは、個人的にも、とても残念でしかたがない。

ダイアナ妃の略歴とお亡くなりになってからの報道 (英国BBCのサイトより)

1981年2月24日 チャールズ皇太子、ダイアナと結婚との報道

1981年7月29日 チャールズ皇太子、ダイアナと結婚

1982年6月21日 第1子ウィリアム誕生。聖マリー病院で。

1984年9月15日 ハリー王子誕生。

1985年9月9日 皇太子夫妻、アメリカ訪問で大歓迎を受ける。

1989年7月25日 ダイアナ、ロンドンに新しいエイズセンターを設立。HIV患者との固い握手が報道された。

1992年6月16日 モートン著「ダイアナ妃の真実」が発行され、論議を呼ぶ。

1993年11月9日 ダイアナ、ジムで隠し撮りされた写真に対する訴訟を起こす。このころからパパラッチとの戦いが激しくなりました。

1995年11月20日 テレビインタビューで、乗馬インストラクターとの不倫をあっさり認める発言。

1995年12月20日 クイーンが、チャールズとダイアナに「早めの離婚」を促す。

1996年8月28日 チャールズとダイアナ、正式に離婚。

1997年1月15日 プリンセスダイアナ、地雷問題で政府ともめる。アンゴラで地雷被害者と会い、地雷禁止令を求める活動をしたのは、政府の方針から外れている、と非難される。

1997年8月31日 ダイアナ、パリで死亡。

1997年9月1日 事故車の運転手は、「酒酔い運転の上、スピードを出しすぎていた」と報道される。

1997年9月6日 世界中が見つめる中、ダイアナの葬儀が執り行われる。

2001年6月29日 計画されていたダイアナ追悼の噴水建設に、政府の許可が下りる。ロンドン・ハイドパーク。

2004年1月6日 英国警察がダイアナの死の真相を調査する。

2006年12月14日 調査の結果、交通事故は悲惨な事故であった、と結論付けられる。


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