日本人はどこから来たのか

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 各種の記録や研究により、先史時代からの民族の移動がほぼあきらかになっている欧州に比べると、われわれ日本人がどこから来たのか、日本人の起源という基本的なことについて、わからないことが多すぎる。

 先日デュッセルドルフ出身のドイツ人と話す機会があったのだが、人類学的見地からみた日本人の起源に関する研究はとても面白いのだそうだ。彼女の説を簡単に言うと、アフリカで誕生したホモサピエンスは、地球環境の変化によって移動していったマンモスなどの動物=食料、を追って次第に東へ移動した。シベリアを超えて、寒冷な環境に耐えるうちに、体の特徴も変化していった。最後にたどり着いたのが東の果て日本。縄文人は、その後弥生人と接触し、彼らの混血が今の日本人のルーツだという。

 縄文人の特徴は今ではわからないが、彼女の説明では弥生人と縄文人は今の日本人とドイツ人ぐらいの違いがあったはずだという。ひょっとしたら、縄文人はブロンドの髪だったのかもしれない。縄文人(古モンゴロイド)は狩猟を中心とした生活、弥生人は農耕民族であったが、生きるために狩をする縄文人は、争いを避ける平和的な民族だった。厳しい環境で生き残るためには、無用な争いは不要だったわけだ。

 一方、弥生人は、人類の移動の途中、アジアで枝分かれしたグループの一部(新モンゴロイド)だと考えられる。別の進化をとげ、農耕を中心に生活していた。農耕は、土地の確保、水の確保、人の確保が必要であり、他民族より優位に立つためには、近隣の民族との争いも避けられなかった。

 「じゃあ、平和な縄文人に武器を持った"敵"が現れたわけだね」と私が言うと、彼女は「"敵"と呼ぶべきではない。彼らだって生活のために場所が必要だったのだから」。

 彼女の話しは日本の神話にまで及ぶ。弥生人に比べて、縄文人は体も大きく、力が強かったので、弥生人が本州の大部分を支配した後でも、ムラの重要なポストを占めていた。日本人が持つ「アカオニ」のイメージは、自分らよりも体が大きく力が強い、彼ら縄文人の記憶だという。

 さらに、天の岩屋戸(いわやと)に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天鈿女命(あまのうずめのみこと)の舞に、思わず戸を開けかけたところへ、力まかせに岩屋戸を開いた天手力男命(あまのたぢからおのみこと)は、縄文人がモデルだったに違いないという。

 縄文人の末裔とも言われるアイヌ民族を調査したときの話しをしてくれた。近代の日本で、必要以上に低い地位を強いられた彼らは、いまや民族の自信を失いかけている。そのため、若いアイヌ人は、アイヌ人同士での結婚を望まないのだそうだ。

 かつてマンモスを追って勇敢にも大陸を横断し、その途中で世界各地に子孫を残してきた誇り高き民族の末裔が、極東の島国でひっそりとその最期の時を迎えようとしているのか。


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