ローマの平日

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 イタリアの旅のクライマックスといえば、やはりローマ。

フォロ・ロマーノ:

 「すべての道はローマに通ず」とは、長方形の広大な面積をもつ古代ローマ遺跡、フォロ・ロマーノ(Foro Romano)のこと。今では建物の基礎や柱などが残るだけだが、それだけでもこの場所がいかに重要な場所だったかを知るには充分だ。フォロは今でいうフォーラムに通じ、ここがローマの政治、司法、宗教、産業の中心だったことを表している。

 カエサルが、「ブルータス、お前もか」という言葉を残して暗殺(紀元前44年3月15日)され、ここで火葬された。

 完全な形で残っているコンスタンチーノ凱旋門も必見。「敬虔で幸福な皇帝へ、神聖な霊感と魂の偉大さの勝利の記念としてローマ市民は捧げる」とある。「神聖な霊感」とは、当時はまだ異教扱いだったキリスト教のことで、キリスト教信者を庇護した最初の皇帝だったことを伝えている。

 南に広がる丘、パラティーノ丘にもぜひ行きたい。フォロ・ロマーノが一望できるだけでなく、ここがローマの建国の地であるからだ。伝説によると、巫女と軍神マルスとの間に生まれた双子、ロムルスとレムスがテヴェレ川に流され、狼に拾われて育てられた。ロムルスは、紀元前753年にここパラティーノ丘に町を建設したのだという。

 実際はどうかというと、ローマ建設の日は紀元前764年とされ、10年ほど差がある。とにかく大昔だし、いいじゃない。10年ぐらい。

 さて、もう一人のレムスはどうなったんだろう?私が思うに、日本に流れつき、桃にのって川を下ったに違いない。

フォロロマーノ_PC用画像

コロッセオ:

 ローマ市民を熱狂させた殺りくゲームが、300年以上もの間行われたことで有名。目的は政治から市民の目をそらすためだったともいわれる。80年の完成まで、たったの8年しかかからなかった。

 現在見られる「底の部分」は、闘士の部屋や猛獣の檻。当時はこの上に板を張り、「舞台」をつくった。想像図によれば、人口の山に樹木も植えた舞台で、人間と猛獣が戦っている。観客席最前列の中央には、皇帝の席がある。野獣との戦いが終わると死体は除去され、水を張って、「海戦」が繰り広げられたと伝えられる。この「海戦」のためだけに、ローマに永住した水兵団もあった。

 5世紀の初め、この狂気の死闘をやめさせようと、東方から来た僧、テレコマが二人の闘士の間に割って入り、民衆に向かって、このおそるべき見世物を取りやめるように嘆願した。しかし帰ってきたのは罵声と嘲笑、そして投げつけられた石だった。殉教者の死後、404年、ホノリウス帝によってこの残酷な競技は禁止された。

コロッセオ_PC用画像

スペイン広場(Piazza di Spagna):

 「ローマの休日」でヘップバーン扮する王女がジェラートを食べた階段がある。今ではこの階段での飲食は禁止。残念。階段の先にはトリニタ・ディ・モンティ教会がある。これはフランス政府の委託によって建てられた、フランスカトリックのための教会。

 階段の下にはヘンな形の噴水がある。小舟の噴水(Fontana della Barcaccia)だ。テヴェレ川の氾濫で、ここまで水が来たことにちなんでいるらしい。

スペイン階段_PC用画像小舟の噴水_PC用画像

真実の口(Bocca della Verita):

 自分が王女であることを隠した(つもりの)彼女が、伝説を聞いて手を入れるのに躊躇する。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の柱廊の左側にある。半人半魚の海神トリトン。

 恐る恐る口の中を覗いてみると・・・食いちぎられた手じゃなくてレンガの壁が見えるだけ。皆さん、正直ものばかりなのね??

真実の口_PC用画像

ベネツィアフィレンツェピサの斜塔トレビの泉・ローマ


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