偽装事件と羞恥心

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相次ぐ食品偽装事件。懲りない面々。ちょうどそんなタイミングで、クイズ番組から生まれた、おばかユニット(?)羞恥心が人気を集めて いる。

先日、日本の職場でちょっとした口論になった。公共の場所に私物を置いている人を注意したら、「だって他の人も置いているじゃない か」。他の人がルールを守らないから、私も守らなくていいという論法だ。これがりっぱな大人がいうせりふだから、日本もずいぶん落ちぶれたものだ。

イギリス人は、ルールを大事にする。「イギリス人は紳士だから」という単純なものではなく、多種多様の民族、文化が交じり合ううち、社 会を成り立たせるために、お互いに譲歩し最低限守らなければならない「ノルマ」が形成されてきた、というべきだろう。それがマナーになり、ルールになっ た。

アメリカではボランティアの精神がある。もともとは開拓時代から続いた助け合いの精神から自然発生したものだったかもしれないが、現在 では子供時代に強制的にボランティアを経験させる。はじめは無理やり押し付けられるボランティアだが、周囲の感謝の声を聞くうちに、ボランティアの意義に 気づくようになる。アメリカの社会は、「子供のころの成功体験」から、社会全体にボランティア精神が広がっている、といえる。

日本にはその昔、「恥の文化」というものがあった。「こんなことでは、世間様に顔向けできません」「ご先祖様に申し訳がない」。日本は 単一民族で、異文化 との交流が制限されてきた。イギリスとは違い、文化、価値観が非常に近い人間関係のなかで、社会を成り立たせるためには、お互いをけん制する、「恥」とい う足かせが必要だった。

人間関係が希薄になるにつれ、羞恥心の必要性が減ってきた。あいつもやってるんだから、俺も、という考えを押さえつけていたも のが緩む。「ちょっとぐらいいいだろう」。はじめはそんな感じだろう。だが今の日本では自制心が働きにくくなっている。いつしか犯罪になり、偽装事件が 起きる。海外の文化遺産に落書きするようになる。

そういう時代に、「羞恥心」が求められるようになったのは、偶然か、必然か。


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