爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくらの聖地


雄電社
〜エレクトロニクス少年の聖地

デジタルという言葉が時計にしか使われていなかった時代の、デジタル少年の聖地。秋葉原電気店街のスタンドアローン版。龍文堂以上に少女未踏の聖地、というか、主宰は名前すら知りませんでした。

【巡礼者からのメッセージ】

■独特の匂いと共に…(2000.8.26掲載)
 アマチュア無線や電子工作を趣味とする少年達は,それ系の雑誌を買っていましたが,雑誌に載っているものを作ろうとすると,電子パーツというものが必要になります.その電子パーツを売っていたのが雄電社(我々の間の呼び名はユーデン)でした.
 場所は大手通に平行に1本入った道をずーっと行った,ローランローゼに出てしまう手前のところでした.
 狭いお店でしたが,そこにはトランジスタや抵抗やコンデンサやコイルや電子キットや,後になるとICやLEDやマイコンなども売られており,独特の匂いと共に我々長岡のエレクトロニクス少年達を魅了し続けていました.
 そんなこんなで道を踏み外して高専に入ってしまった少年達も多かったに違いありません.私がそうでした.高専にパーツ類を納品していたようにも記憶しています.

 が,そんな素晴らしいお店も今から15年以上前に閉店してしまいました.  一説では万引きが多く採算が取れなかったからとも聞きましたが,万引きくらいでは採算もOKだろうと思えるほど価格設定は高かったようにも憶えています.
 未だに秋葉原に行くとあの頃を思い出します.

■今でも近所にあったらな〜と思う時があります(2000.9.3掲載)
 雄電社・・・。
 携帯電話の普及により情報・交流がさかんな現在ですが、それらが未発達の当時ではアマチュア無線という方法で国内のみならず、世界に向け情報を発信・収集する術として至高の手段だったよう気がします。
 しかしそのキャリアを得るにはまず、電子工作によりその装置の基本を知る必要性があり、(おそらく無線装置が当時手作りだったため)手始めにラジオなどを作成をします。
 そんな部品を多数取り揃えていたお店が雄電社でした。
 このお店に入ると独特の臭い(たとえるなら新品のパソコンとか電化製品かな)がして入店するだけで頭脳明晰になった気がしました。
 まあ、ここにきてる人はたいてい頭のよろしい御方々でかなりマニアックでしたね。
 今で言えば、パソコンのHDDやCPUなどを求める方々と似ています。
 私はあまりその世界に入り込めず、途中でリタイアでしたが、今でも家電の裏に書いてある回路図なんかを読んじゃうから、やっぱりハマってたのかな。
 今でも近所にそんなお店があったらな〜と思う時があります。

■実は私(2000.9.3掲載)
 雄電社ネタが出ていたので一言。
 実は私、今から20年以上前の高校生の頃この店でバイトしていました。
 当時は、この店の常連高校生がバイトとして居着くというパターンが多く、私の他にも2〜3人のバイトがおりました。
 それが原因でつぶれたかどうかはともかく、確かに万引きさんはたくさんいました。
 バイト仲間で万引きを捕まえるのがうまいやつが一人いて、よく捕まえていました。そいつは、原チャリ窃盗で捕まった前歴があったので、「やっぱり泥棒の心理は泥棒が一番よくわかる」とからかっていましたが、彼は「泥棒と万引きは違う!」と訳のわからないことを言っていました。この辺は関係ないですね・・・失礼しました。
 現在は雄電社の業務を引き継いだ(?)ユウピット電子という所が、「シャワーマッサー」近くで電子部品などを販売しています。

■あははは(2000.9.3掲載、というか主宰、爆笑の談話)
 あははは、それはステキな立地。
 パソコンショップにアダルトソフトコーナーが必須のように、ナガオカのスタンドアローン秋葉原は、なんとリアル・アダルトの近くに。
 そして、時期を同じくして、こんな投稿があああ〜〜〜!

■××は××でした(2000.9.3掲載)
 雄電社の××は××でした。
 そして、当然の様に「無線」をしていました。
 私も無免許で時々、無線をやらせてもらいました。
 万引きもさることながら、とってもどんぶり勘定な?お店だったそうです。
 (取り扱っているもののイメージと違う・・・)
 本当に世間はせまい。

■・・・・。(2000.9.3〜9.10、主宰、半笑いの談話)
 以上、「匿名希望」のかたからでした。
 また、『雄電社』の立地についてもこんな↓…。

■隣りがノー*ン喫茶(2000.9.10掲載)
 「雄電社」だった頃は、確か大和の裏通りにあったかと思います。
 隣りがノー*ン喫茶だったというもっぱらの噂でした。

■ノーパ*喫茶ですかあ(2000.9.10、主宰、感嘆の談話)
 ノーパ*喫茶ですかあ。ナガオカにもそんなものがあったとは。
 もしかして、この新たに報告された聖地↓の隣も…?

■長岡ハムセンター(2000.9.10掲載)
 雄電社がでてくれば、ハムセンターも欠かすことはできません。
 ハムセンターといってもハムを売っているわけではなく、アマチュア無線のハムです。
 当時長岡でマイコンと言われるものを扱っていたのは、雄電社とハムセンターで、両方に顔が利くようになると通と呼ばれるようになります。


キャロットハウス
〜草創期アーケードゲーマーの聖地

昭和ナガオカにおけるゲーム青少年の聖地。厚生会館の向かって左脇のビルの1階に位置し、『市展』などを見にいく大人たちの「不良のたまり場らねか」という視線を浴びていた。

【巡礼者からのメッセージ】

■「ナムコ」直営のゲームセンター(2000.10.1掲載)
 厚生会館向かって左手のビルの一階にて営業していた「ナムコ」直営のゲームセンター。
 当時ナガオカでメジャーなゲーセンといえば長崎屋(7階と8階のボーリング場)くらいしかなかった中で、確か1983年位に開店したと思います。

 ナムコは当時最も勢いがあったゲームメーカーで、
 ・数々の斬新なアイデアのゲーム(多くはプレステで家庭用に復刻)
 ・会員制小冊子の配布(その名称は貴サイトと同じ「NG」でした)、
 ・ゲーム攻略豆本配布(ポールポジション、ディグダグなど)
 などなどのメーカーの企画がダイレクトに反映される、直営店ならではのサービスで、たちまちゲーマー達の聖地となりました。(当時「キャロット」はナムコ直営店にのみ冠される名称でした)

 当時のゲームセンターでは終夜営業も当たり前でしたが、開店当初から22時閉店というとても健康的なお店でした。

 やがて「プレイシティキャロット」と名称を変えましたが、就職で新潟を離れた私が数年前帰省の折りに立ち寄ってみたところ静かに閉店していました。
 学生時代の青春の一部をキャロットで過ごした者としては、一抹の寂しさを禁じ得ませんでした。

■なにかの呪いか(2000.10.15掲載)
 キャロットはたしか去年つぶれたと思います。
 私もよく行っていたのに。

 おまけネタとしては、キャロットの店の中にコンパイル社長「MOO仁井谷」のサイン色紙が飾ってあったんですが、キャロットが潰れた後コンパイルも潰れかけた。(和議申請した。)
 なにかの呪いか?

■どんどんマニアックなほうにひた走り(2000.10.15掲載)
 私、以前ナムコに勤めておりました。

 キャロットは全国各地にあり、私が配属になった地域にもやっぱりキャロットはあったのですが、やっぱりそこもマニアの集まりもとい聖地でした。

 ていうか、ナムコ自体キャロットはマニアのお店という意識が多少ありアルバイトはいうに及ばず、店長をやってる人もマニアな方が多かったような気がします。
 そういう状況なので、キャロットはどんどんマニアックなほうにひた走り音楽系のゲームが増えてきた今、消え行く運命みたいです。

■実はゲーム系には(2000.10.15主宰、はてさての談話)
 実はゲーム系には全くウトい私。
 不況知らず業界なのかと思ってましたが、なかなかにサバイバルなんですねえ。
 それにしても、社長の名前が「MOO仁井谷」なんて、ゲーム業界ではフツーなんだろうか。


互尊文庫
〜受験生の聖地

ナガオカの受験生たちに机とエアコンの風を惜しみなく提供する聖地。
このコーナーでは珍しく現存する。成立の謎等は『安吉』へ。

【巡礼者からのメッセージ】

■あの木造の互尊文庫が思い出される今日この頃(2001.11.16掲載)
私、最近よく図書館で勉強します。
しかし、私んとこの公立図書館は、本当に図書館で本が沢山あって机が少なく、すぐに一杯になってしまいます。
しかも、各机には「ここは図書館の本を読むところで、受験勉強で占拠してはいけません」とあるので何か気分悪いです。

そこへ行くと互尊文庫良かった。三階は、中高生の勉強机専用で、2階が大学生・一般でした。難点は、中学生がうるさく、高校生になるとどうしても、2階に行きたくなる。こっそり2階で勉強していると、参考書を探りに来る司書がいて(陰険!)、大学受験の参考書を発見すると「お前。高校生だろ!3階へいけ!」という、「上、うるせんだ!」と反論すると、「決まりは決まりだ!」の一言!そんな、思い出です。あの司書の顔、今でも覚えています。

でも、本当の思い出は小学校低学年の頃です。
あのころまだ、木造で、今と同じ場所にありました。石畳の坂(小さいですが)を上ると、大きな入り口、靴を脱いで上がると、前には、映画「蒲田行進曲」の最後に出てくるような大きな階段がどんとあります。それが左右に区切っています。一階の右側が児童書のある場所で、他の場所はしりませんでした。何となく、昔の分校ってイメージで、今よりの利用する人が遙かに少なかったようです。受験生がいたような思い出はなく、子供しかいなかったような・・・

 そんなある日、事件が起きました。
 明治公園の端っこにあった互尊文庫、明治公園の真ん中に、ワープしたのです。びっくりすると言うよりも、「いつもの遊び場所を勝手に占拠しやがって!」と言う気持ちになったように思います。
 これ今では、余りやらないことかも知れませんが、木造家屋の場合土台を切り離し、コロで移動させるというやり方するみたいです。鉄筋に改築するのに、空白期間を作らないためにやったのですね。
 無事、新互尊文庫が完成し、木造の旧互尊文庫は取り壊されました。しかし、取り壊し後には、アベック用に、何のためにあるかわからない白い鉄骨のついたベンチと花壇が出来てしまい、結局、「広っぱ」は相当縮小されたのです。

近代的な地元の公立図書館にいると、何となくあの木造の互尊文庫が思い出される今日この頃です。

■移動図書館(2001.11.16主宰、目頭熱の談話)
これは思わず目頭が熱くなる昭和な思い出。
建物をまるごと移築するのは、古民家とかでは聞きますけどねー。
新文庫完成後も、壊さないでそのまま使えばよかったのに。
コロに乗った移動図書館。

■あいつヨバッテこい(2002.7.12掲載)
「ぼくらの聖地」互尊文庫編に「陰険な司書」の事が書かれていましたが、私の記憶にある司書とイメージが合います。恐らく同じでしょう。

当時、長岡に来たばかりの私(埼玉出身)と友人(広島出身)が、互尊文庫に行った時の事。そういや行く前、図書館の場所を誰かに聞いた際、
聞かれた人「互尊文庫ならここだよ」
私「それは知ってる。そこが目印なの?」
聞かれた人「いや互尊文庫が図書館だけど」
って会話をした憶えが。それまで私、互尊文庫って何かの記念館と思ってました。

それはともかく、初めての事で3階が中高生用とは気がつかず、大学生なのに本を持って3階に上がろうとして司書に怒られた憶えがあります。陰険というより良くも悪くも頑固オヤジという印象ですね。その時は「いきなりそんなに怒るなよお!」と嫌な気分でしたが、そんな方は今少ないですから懐かしく感じます。
また、その時に既に友人は階段を上がっていたんですが、それを見た司書曰く、
「おい、あいつヨバッテこい。」
長岡に来て間もない私が悩んだのは言うまでもありません。

■『げっぽ』参照(2002.7.12主宰、腹痛の談話)
こ、これはお腹痛すぎる(笑)。あの互尊文庫の薄暗い階段で「ヨバってこい」は悩ましすぎますね。


八方台休暇センター
〜仰ぎ見る聖地

かつて小学校高学年の遠足の定番であった聖地。市街から仰ぎ見ることができるその姿は、「あんなトコまで行くが〜か〜」というヤレヤレ感を少年少女に与えていた。しかし、近年定番から外れたらしく、ついに2002年夏……。

【巡礼者からのメッセージ】

■8月に取り壊される(2002.7.27掲載)
8月に取り壊される八方台休暇センターですが、先日学校のボランティア体験で行ってまいりました。(八方台に行ったのは4人)
目的は、ながおか市民センターで再利用できるものを「発掘」するためです。

中は真っ暗で物が少なく、ものものしい雰囲気がぷんぷんしております。食堂でしょうか?そのような場所には、80年代のようなテレビが積み重ねられたり観葉植物がいくつも置かれ化け物屋敷かとおもいました。

その奥の厨房には何故かカセットテープ(M・ジャクソンの『スリラー』他多数全部古い)が置いてあったり、お土産品がそのまんま置かれてました。(中身は開けられるはずがない)

それでもって個室ですが、中を見ると何もなくて今にもお化けちゃんが出てきそうな部屋でした。
その近くの娯楽室(プチゲーセン)には、なんとあの「インベーダーゲーム(テーブルのやつ)」があるではないか!ノスタルジックさをびんびん感じます。

そんでもって風呂ですが、羽アリの落とした羽がぶわぁーーーとおちてました。
班員全員は阿鼻叫喚の地獄へと。。。。。。

■消滅ネタばかり(2002.7.27主宰、ナガオカはそのうちなんにもなくなるんじゃないかの談話)
消滅ネタばかりの今日このごろ、山の上の白亜の殿堂(嘘)もまた、ですかー。すでにこんなホーンテッド状態になっているとは。インベーダーは市民センターで復活するのだろーか……。


百間堤
〜はしゃぎにくい聖地

上記の八方台に次いで小学校での遠足率の高い聖地。しかしそこまでの距離は遠く景色は単調、さらに子供には不可解な「ガダルカナル慰霊」の巨大な塔がそびえ立ち、心踊らないことこのうえない地であった。

【巡礼者からのメッセージ】

■ヒャッケン沼(2004.07.10掲載)
私の世代、遠足と言うと、なぜかすぐに連想する言葉があります。
それが「ヒャッケンツツミ(百間堤)」
岐阜の百間堤は、こんなようです。
http://mitsui.kir.jp/takatomi-rekisi/takatomi-rekisi-17-mokuzi.html
確かに百間堤って感じです。でも、とても、遠足の場所には見えません。
いまだに、何が長岡の百間の堤なのか分かりません。
私のイメージは、ヒャッケン沼と言う感じで、ここのどこが堤なのでしょう?って感じです。
↓これが「百間堤」ですが、ヒャッケン沼ですよね。
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/dpage/kouhou/sai/sai/16.htm
なぜか、ヒャッケンツツミというと、昭和40年度の郷愁がよみがえってくるのです。

■とても遠足の場所には見えません(2004.07.10主宰、助清談話)
主宰にはcity.nagaokaサイトの写真のほうがとても遠足の場所には見えません(笑)。なぜモノクロ。なぜ低解像度。逆立ちした死体が発見されそうな風情でございます〜。


東山ファミリーランド
〜春を待つ聖地

これまた小学校での遠足率の高い聖地。ポニー牧場やバーベキュー場として市民に日帰りレジャーを提供。冬場は市営スキー場のゲレンデの下に休眠している。

【巡礼者からのメッセージ】

■家族団らんの聖地(2006.03.19掲載)
東山ファミリーランドをぜひ聖地に加えてください!こう、家族団らんの聖地というか・・・。私の幼い頃の思い出の1ページなので!当時は白いポニーを見て『王子様の乗る馬だ!』と思ってました(笑)現在は閉鎖中らしいです。ポニーたちは地震大丈夫だったのかな?

■件の聖地(2006.03.19主宰、箱舟談話)
主宰の記憶が確かなら、震災のとき山古志の牛たちがヘリに箱吊りされて舞い降りた地がここではないかと。避難所に使われるくらいだから、もともとそこにいた動物たちも無事だったに違いなーい!と思いたい。現在は仮設闘牛場が建設され、すでに何場所か開催されたようでございます〜。


みやじさま
〜甘じょっぱい聖地

これまたまた小学校の遠足の聖地。鬱蒼とした小山の中に敷かれた細く長い石段を上がっていくと神社があるというトラディショナルな構成。石段の途中に茶屋があり、ニシンと麩の煮付けが有名。

【巡礼者からのメッセージ】

■どれくらい煮込んでいるんだこれ(2006.09.17掲載)
栃尾に抜ける「真榎トンネル」の脇にたたずむ神社です。
私が小学校の時は定番の遠足地でした。
脇のお店にある「ニシンの煮付け」が有名で、どれくらい煮込んでいるんだこれと言う位じっくり長々と煮込んだ煮付けがあります。
神社の左の山道を奥に行くと、池に出ます。
ここも子供の頃遠足でよく行きました。
町内会で行った時は、大人が草むらや木の陰におもちゃを隠しておいて、子供たちに捜させるイベントをやっていたので、もしかすると見つからずに眠っているおもちゃが未だにあるかも知れません。
中学生の頃はここでヘラブナを釣るのがはやって、よく釣りに行ってました。
現在は、ヘラブナ釣りは有料化されたらしいです。
池の周りは、大昔は競馬場だったらしいです。うちのじーちゃんが言ってました。
今どきの子供もこういうところに遠足に行っているんでしょうか?
うちの子ももうすぐ小学生なので気になります。

■魚嫌いのお子様にも(2006.09.17主宰、小骨もイケる談話)
旅情と郷愁ただようご投稿ありがとうございます〜。
主宰も何度か行っているんですが、池があるって知らなかったです。茶屋でゴールと思ってたからかなあ。小骨の多い魚が嫌いなチビっ子時代でも、みやじさまのニシンは食べれたんですよねえ……と思い出すだけで口の中に甘じょっぱい味記憶がじょわ〜んと。それにしても、なんであんな山の中なのに山菜とかじゃなくてニシンなのだろー?

■リロ&スティッチ(2006.11.04掲載)
1歳半の息子を連れてみやじさまに行きました。
例のニシンの煮付けを家族分購入。結構なお値段になります。
我がボーズが何したわけでもないのに、「ぼーやいい子だねーこれあげる」と茶屋のおばちゃんがなぜかリロ&スティッチのスティッチの巨大なぬいぐるみを下さるではないですか!
ニシン分の金額になるかと思うのですが。相殺?
確かに店の奥の陳列棚に土産用のスティッチがたくさんいたが。
にしんとかの土地の関係性もさることながら、スティッチは?

■もしや!(2006.11.04主宰、宝さがし談話)
うーん、値下げをしないDズニー商品を惜しげもなくプレゼントするとは。奥に「土産用のスティッチがたくさん」っていうのも謎っすねえ。こ、これはもしや、上のご投稿にある「見つからずに眠っている」物件の!?・・・って、それは昭和の話だしなあ。。。


すずらん通りの本屋さん
〜対峙する聖地

大手通りに比べて専門店の多い「すずらん通り」には、かつて目黒書店・長岡書房の2書店が道を挟んでお互いを睨みつつ営業していた。学参とマンガが充実した学生向けの「目黒」、ローカル出版社の郷土書が数多く並ぶ大人向けの「長岡」という住み分けであったが、「目黒」は大手通りの「覚張」とほぼ同時期に姿を消し、「長岡」はよりローカル色の濃い「書林長岡」に転じた。

【巡礼者からのメッセージ】

■張り紙が…(2008.08.24掲載)
すずらん通りにある書林長岡が8月末で閉店だか廃業という張り紙があったのを目撃しました。
郷土書が充実していただけに残念。欲しい人は急いで・・・・

■ついに(2008.08.24主宰、落胆談話)
「長岡」さんもついに廃業ですか。探している本が近所の本屋さんにないと、そのまま車輪を伸ばして(自転車なので…)目黒・長岡・覚張とハシゴしたのが思わず走馬灯でございます〜。

■違った意味で聖地?(2008.09.28掲載)new!
書林長岡も8月20日で廃業してしまいましたが、関東町の辺りにT田書店という小さい本屋があります。
そこに入ったことがあるのですが、エロ本の充実していること・・・・挙句の果てにB薇族が・・・・・ ドキモを抜かされました。
今も健在ですが、コアなお兄様が立ち読みしているのを見ると違った意味で 聖地なんですかね。(自主規制OKです)
ちなみにT田書店を北に進んでいくとUSAがあります〜

■頭文字USA(2008.09.28主宰、規制済み談話)
大手通を背にして、すずらん通りを道なりに行ったトコですね。自主規制OKとのことなので、随所で頭文字をローマ字にしてみました。無論、USAもイニシャルです(断言)。