悠久山の謎
[ゆうきゅうざんのなぞ:mysteries of the YUKYU-ZAN ]
【サルたちの隠された生活】
悠久山名物の、サル山のニホンザル。
冬どうしてるのか、の疑問は「そのままです」との報告にアッサリ解決。
ニホンザルは寒さに強かった。
即効解決に安心していたら、新たなサルネタが。
悠久山にはかつて『お猿の電車』があったらしい。『お猿の電車』とは、昭和ニッポンの観光地に出現した、サルが車掌を勤めるミニSL。実は、幼い主宰がソレに乗っている写真があるのだが、それが悠久山なのかどうかはわからない。という以前に、その経験をぜんぜん覚えていない主宰であった。
【さらばスキー授業の聖地】
「シングルリフトが1本しか無く、しかも初級者コースが1番上にあるというすばらしいスキー場だった」と投稿者さん激賞の悠久山スキー場。
また、裏山のほうに回るとノルディックコース(要するにマンマの山林)になっていたという情報や、誰でもエントリーできるアルペン競技会なども催されていたという情報も届き、往時の盛況ぶりを偲ばせる。
しかし、いまではリフトは跡形もなく撤去され、どうやら廃業したもようである。ここしばらくの小雪が原因と思われ、地球温暖化の影響がこんなところにも、と感慨深い。日本のどこの地方にも入れてもらえない孤独な新潟県だが、たしかに『地球』には属していた。
また、スキー場とともに悠久山の2大スポーツ施設であった、ゴルフの打ちっぱなし練習場は、いまだ健在。隣にパターゴルフ場なんかもあるのであった。
そして、廃業の核心に迫る続報が。
悠久山スキー場の経営者は、いまはなきナガオカ唯一のゼネコン『吉原組』であったらしい。地球温暖化の影響とともに、日本経済のバブル崩壊の影響も受けていたのであった。やはり新潟県も日本だった…。
【蒼紫神社の土俵】
蒼紫神社の手前左手には、土俵がある。
あそこで相撲が行われているのを見た人はなく、相撲大会が行われたという話すら聞かない。しかし、土俵は荒れてはおらず、きれいに整備されている。そもそも神事だったと言われている相撲、あの土俵で奉納相撲などが行われているのか、あるいはチビッコ相撲用なのか、大阪の女性知事が「上がりたい」と言ったら上がらせてもらえるのか、謎は深まるばかりである。
●ナガオカには相撲ファンが多いのか、続々と続報が。
「夏休みに栖吉小学校のちびっこ相撲大会がある」という情報が2件、うち一件は、「8月10日」という正確な日付まで。また、「50年前くらいには大人による大会もあった」「大相撲の巡業も来た」との報告もあった。大相撲に関しては、「母は栃尾線に乗って応援に行った」という歴史を感じさせる報告も。悠久山の、いまはバスターミナルみたいになっているところ、たしか、栃尾鉄道の駅だったんですよね。
●実際に相撲大会に出た人からの投稿が!
「紙製の手作りの・・土俵入りにまわしに付けるやつ(詳しい名称
忘れました)を付けて、土俵入りをしました」
……???
まわしが紙だったわけじゃないんだろうなあ。それじゃあ、例の反則負け続出でしょうし…とトボけたことを書いていたらツッコミが。
「化粧まわしのことではないでしょうか」
あ、そーいえばそーですね、っていうかそれしかないじゃんよー>私。
ちなみにこのペーパー化粧まわしのご本人は、栖吉小学校ご出身とのことですが、「栖吉小学校の行事かどうかは不明」だそうです。
●栖吉小学校関係者のかたから続報。
問題のちびっこ相撲大会は、栖吉小学校のPTA主宰の行事で、なんと高学年男子全員参加の大イベントであるらしい。それぞれシコ名もあり、例えば「きよし君」は「きよ大海」と、なかなかナイスなネーミング。
しかし、体重別の階級名は、『大』か『小』という、くだものみたいなシンプルさ。プログラムには、せっかくの洒落たシコ名の隣に『大』とか『小』とか書かれてしまっているらしい。「僕らはミカンじゃない!」とか言い出す少年はいないのか。
●この大会、いまや(2002年)、長岡まつりのイベントのひとつになり、栖吉小以外のちびっこたちも参戦しているらしい。
「主催に長岡まつり協議会と長岡市体育協会、
元からの主役である栖吉の方々を共催に、
新潟県内のマスメディア各社も後援につけて、
参加者を小学校高学年から一般の部にも広げて、
それでもやっぱり開催日は8月10日のまま、
『市民体育祭相撲大会 兼 長岡まつり協賛相撲大会』という
なんとも長いタイトルの大会に」
とのこと。大人の部も『大』とか『小』の階級なんだろーか。
●栖吉小関係者からまたまた続報。なんと、
「小学校の夏休みの登校日に男子は相撲、女子はドッジボールをさせられた覚えが」
大阪府の女性知事もびっくりの革新的土俵であった模様。ドッジボールって、もしかして土俵の中が内野で外が外野なんでしょーか。フチでコケそう……。
【三色だんご】
悠久山名物の、あんこ・きな粉・ごまの「三色だんご」。
今もあるのか、の疑問は「そのままです」との報告にアッサリ解決。
3兄弟ブームは弱かったが、「だんご」そのものは強かった。
……と安心したのも束の間、衝撃情報が。投稿者さん談、
「2002年の秋でした。
子供を連れて悠久山に遊びに行きましてちょいと小腹がへったもんなんで、
”お団子食うか?”と子供の手を引き、松山亭へ…あの坂を登りきって愕然!
更地になっていたんです!消滅してたんです!(泣)
大分年季の入った建物だったから、建替えすんのかな?と思っていたらなんと閉店…。
聞くところによると、店主のおばちゃんも最近になって体調がすぐれず、
辞めたいと思っていたらしいのですが、とうとう入院されたらしく、
この際だからと閉店に踏み切ったそうです。
あの三色団子も、茶屋にしんも、もう2度と口にできないと思うと残念…。
春の観桜会でも、蒼柴神社〜松山亭〜蒼柴神社という神輿のルートを
今年はどうするのかというのが、もっぱらの話題です。(自爆)」
投稿者さんは神輿系のヒトなんでしょうか。と、自爆の上からさらに爆破してみたり。それにしても、あの茶屋が閉店どころか消滅していたとは……(もらい泣)。ちなみに主宰はゴマが好きでした。
●2004年の春になって「悠久山の三色だんごまだありますよ」との情報が、『長岡市非公認ホームページ』の掲示板に誤爆気味に登場。現われたり消えたりするファントムだんご茶屋なのかと思われたが、真相を解明した投稿者さん談。
だんご茶屋『松山亭』、ものの見事に何にもなくなってるのですね。
コンクリートまで引っぺがされて。
わずかに木が「このあたりが庭だったのかなぁ」と思わせるくらいで。
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ありし日の松山亭 |
引っぺがされ後 |
見事なまでの消滅ぶりでございます。核心に迫る情報はこの後。
ところで、悠久山の広場の上にはもう1軒のだんご茶屋『三色亭』(昔はそのまんま「だんご茶屋」という名だったような気が)があります。
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……2軒あったということでございました。そういえば、お山の頂上的なところにある店と、散歩コースの途中にある店と、ふたつの記憶があるような。同じ山に同じものを売る店が2軒あったとなれば、なんらかのバトルが発生するのは自明の理というわけで。投稿者さん談、
松山亭健在だった一昨年(2002年)までこの2軒のだんご茶屋の間では100ml戦争が繰り広げられていました。
それは缶ジュースの自販機でのこと。
ちょっと登っただけなのに売価は観光地料金でどちらも130円。
しかし違うのがその容量。
三色亭は250ml缶、対する松山亭は350ml缶。
健闘むなしく松山亭は消滅してしまったのですね……。
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なんと、安い方が撤退とは。店主さん体調不良とあれば仕方ないですが、せっかくの昔ながらの茶屋、チャレンジショップとして貸し出すとかして下さってもよかったのに。たとえ借り手がつかなくて廃墟化したとしても、別のファン層が…。
●花見期限定だんご店情報!(2006.5.28掲載)
投稿者さん談、
悠久山の桜を見に行ったのですが、屋台で3色だんごが売られていました。
看板も出ていてお山名物とありましたが、孤軍奮闘の「三色亭」とは経営が違うようです。
ちなみにこの屋台の3色だんごはお餅が着色されていました。(三色亭は白いお餅に餡子やうぐいす粉が載っています)
あと、お山名物「桜もち」だったか季節限定モノをメインにしていた露店も見受けられました。
今はなき松山亭のだんごがどのようなものだったのか気になります。
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うーん、松山亭の季節限定復活か!?と思いましたが、ぜんぜん違うお店ですねえ。松山亭のは、ゴマ・餡・きなこの三色でございました。お山名物「桜もち」って主宰はハツミミでございます。意表をついて、関東のクレープみたいなの(長命寺と言うらしい)だったらどうしよー!
【バス亭の駄菓子屋】
子供だけの客は皆無のアダルト甘味処だんご茶屋。それに対して、子供客歓迎の甘味処二番館とでも言うべき場所がこれ、バス亭の駄菓子屋。
悠久亭と谷菓子店という名の2軒が、現在も営業中らしい。プール帰りで疲弊した少年少女の血糖値を上げる、救急救命甘味処である。
●かなしいお知らせ。(2006.05.28掲載)
投稿者さん談、
悠久山も車庫の横にコンビニが出来ましたね。
でもその代わりにお互い睨み合うように建っていた駄菓子屋「悠久亭」(明治製菓のCM看板があるほう)と「谷菓子店」は2つとも消えてなくなりました。 悠久亭の方は晩年閉まっていることが多かったのですが、明治製菓のCM看板は定期的に新しいものに張替えられていました。
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あいたたた。地震の影響もあるのかも知れませんが、「お山」の「お山」らしさ盛り上げアイテムがまたひとつ時代の波にかき消され。こうしてどんどん普通アイテムが増えていき、そのうちただの「山」になっちゃうかも。。。
new!
●サバイバー(2008.10.13掲載)
上の記事にある「車庫の横のコンビニ」続報。
駄菓子屋はなくなりましたが、ヤマザキディリーが悠久山バス停横に出来て久しいですね。
コンビニですし、あの辺りにはあそこしかないですから結構流行っているようです。
ちなみに越後交通が経営している模様
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バス停コンビニは、コンビニ界で最も昭和テイストの高いヤマザキさんでしたか〜。それならあの地で生き残ってもフシギはない(微妙に失礼)。そういえば、越後交通さんは自前のコンビニ・チェーンがないですね。意外。
【地名の謎】
日赤があったから「日赤町」、水道タンクがあるから「水道町」、長岡の地名は熟考の末に決定したと思われるものが多いが、「おやま」こと悠久山周辺が「御山町」ということを推測できる人は少ない。
【 BLUE PURPLE BLUE BUSH】
あちこちでいろいろ書いた『蒼紫神社』ネタだが、どうやら根源的な過ちを犯していた模様。『蒼紫』じゃなくて『蒼柴』らしい。こう書いても、「え?どこ違うの?」というヒト多数だろうなあ…含・私。
【トーテムポールのある○○】
投稿者さん談、
悠久山スキー場は、リフトに乗ってそのまま斜面を滑降するコースと、裏手を回ってくるコースがあったと思います。その裏手の方かと思いますが、トーテンポールが立っているレストランが、有名でしたよね。
名前は、長岡パーラーだったと思います(フルーツパーラーは駅前でしたっけ?)。
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たははは、なぜか昭和の学校とか観光地とかに林立していたネイティブアメリカンのID証。小学校などでは卒業記念作品として6年生が総出で彫ったりしていたものでした。あのブームはどこから来てどこに行ったやら。主宰の記憶では、トーテムポールが立っていたのは山の上のゴルフ打ちっぱなし場あたりなんですが……でも自信ナシ。駅前のフルーツパーラーって、いまはなき大黒ビルの1Fのことですかねえ。あれは「ジェンヌ」じゃなかったかなあ。まさにトーテムポールのような巨大パフェで。
【オリエンテーリングコース】
昭和ナガオカ最大のアウトドア施設・悠久山にはこんなものもあったらしく。投稿者さん談、
今から20年ほど前、オリエンテーリング(地図とコンパスを頼りに地図上に記されたチェックポイントをまわってくるスポーツ)にはまっていました。
そんな時に悠久山に協会公認パーマネントコース(常設されたオリエンテーリングコース)があるのを知り事前に見に行こうと思いました。
スタート地点とマスターマップがある駅名板のような看板(チェックポイントの大体の位置が記してあり、マップにこれを写す)は、悠久山プールの夏入り口と蒼柴神社参道入り口の間を発見し行って見ると、そこには
「当分の間閉鎖します」
との文字が・・・・お子様だった私には市教委に問い合わせる気力もなく、その後数年は行く度にどうなっているのか気になっていたのですが、当分の間〜のままで私も忘れてしまいました。
そして、今年のゴールデンウィークに悠久山を訪れたら朽ち果てながらもあのマスターマップの看板が残っているではないですか・・・20年前に見たままそのままで相変わらず
「当分の間閉鎖します」
との文字が読めました。
あそこだけ時が止まっています・・・・
ちなみに「悠久亭」と「市教委」で地図を販売しているとも記載が・・・・。
看板 では当分の間閉鎖とありますが、某オリエンテーリングサイトでは廃止と書かれ、協会公認コースにも悠久山は記載がないので復活することなく廃止されたのでしょう。ちなみにそのコースは10キロコースだったようで、あの山の中を10キロ歩くとはいかほどに・・・・
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ううう、永遠に続く「当分」でございます〜。オリエンテーリングって、中学あたりの林間学校でやったような気が。何人かのグループで山を歩きながら途中でクイズを解いたり(<これは邪道?)する、リアルRPGみたいなヤツですよね。悠久山にそんなコースがあったとはという驚きとともに、協会とか正式なコースとかがあるっていうのも驚き!(2006.05.28掲載)
【釣堀】
昭和ナガオカ最大のアウトドア施設・悠久山には、さらにこんなものもあったらしく。投稿者さん談、
池の方に現在も営業をしているホテル長岡の近くに釣堀がありました。今は埋め立てられています。
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うーん、全然記憶なっしんぐ。信濃川や日本海に行きほうだいのナガオカで、悠久山でお金払って釣りをしようという人がいたのかどーか。埋め立てもやむなしって気が。。。(2006.05.28掲載)
なんとこの幻の釣堀での釣り経験報告が!
実際に釣りをしたことがあります。ヘラブナ釣りを2時間ほど結構遊べましたよ。そんなに大きな池ではなかったとおもいます。持ち帰らずに、重さで現金を頂戴した記憶があります。
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昭和40年代なかば生まれの投稿者さんなので、昭和50年代にはまだあったということでしょーか。それにしても換金方式なんて、もしかして法に触れているのでは〜(^^;)(2006.07.29掲載)
【勇気の要るラーメン店】
「ここは ゆうきを ためされる らーめんやじゃ」と神父さんが言うかもしれない試練の店のご報告。投稿者さん談、
悠久山裏門前バス停の方から池の方へ向かうとあるラーメンがメインの食堂。
名前は伏せますがいいムードをかもし出していて入るのに勇気が必要な所です。長岡関係の店を記したHP主宰の路地裏番長さんが挑戦しましたが耐え切れず逃亡したらしいです。
ちなみに最近は通りかけることもないのでお店自体があるかも確認していません。
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路地裏番長さんさえも撤収ってことは、廃墟よりもさらに荒廃した暗黒空間だったのでしょうか。続報次第では、ココよりも「ローカル怪談」行きに。。。
(2006.05.28掲載)
んでもって路地裏番長さん、リンクフリー確認しましたのでごあんない〜。TOP→ゲキトウヘン→3→第25話 北條屋でございます。
(2006.07.29掲載)
【さよなら屋外プール】
昭和ナガオカのサマーランドだった「お山」のプールも、ついに。。。
悠久山屋外プールが9月7日で閉鎖。あの飛び込み台やTV中継していた競泳大会も過去のものに・・・・・
多分、あのオリエンテーリングのコース板もなくなりそうです(5月のGWにはまだありました)
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こどもプールから競技会用プールまで、ろうにゃくにゃんにょ楽しめた悠久山プールもついに閉鎖ですかー。後半の「オリエンテーリングのコース板」は、上のほうに書いたこの記事の件ですね。経年+震災被害でしかたないことなんでしょうが、どんどん寂しくなっていきますねえ、悠久山。東京の高尾山みたいにミシュラン掲載で一発逆転みたいなコトが……あったらあったで慌てますけど(^^;(2008.08.24掲載)
【Welcome to the Hotel OYAMA】
久しぶりすぎてすっかり忘れてしまった書き方を思い出しながらの続報!
「ホテルお山」が経営権譲渡されリニューアルオープンしてた!!
初詣に蒼紫神社へ行った時のこと。
森立峠方面から近道をするために悠久山公園の裏側を回るとそこにはやたらと煌びやかな照明が輝くコテージ風の建物がライトアップされていました!
良く確認すると旧ホテルお山ではありませんか!リニューアルというより経営が市内のホテルトマトに譲渡されたようで、名前も「ホテルヒルズトマト」になっていました。
外観はリフォームをしてかなり綺麗になっていますが、建物の形状は「ホテルお山」そのもの!!
例の
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なぜか最後がブツ切れておりますが、諸般の事情というか配慮というか。
「森立峠」ってなつかしい〜。これを「もったてとうげ」と読めるのはたぶんナガオカ人だけですよ!IMEさんも辞書登録がなく、迷うことなく「持った手峠」だし。
リンク先はオフィシャルサイトなのですが、花火の日の価格設定がゴーギすぎていろいろな突っ込みどころも霞みがち。(2015.07.31掲載)
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