正式名「北区ふるさと農家体験館」
(北区ニュースなどの写真は右上部の建物が煩雑らしくレタッチで消されていた、正面に人物を入れればプラマイ0になる。)


公開される前


浮間の松澤家から移築されたもの。メインはやはり威容を誇る茅葺屋根。
近くの保育園の子供たちの見学でしょうか。素足での広々とした新しい畳の感触はいいものです。(まさに肌で感じることができる体験)


左は正面土間から居間、入った瞬間ひんやりした懐かしい空間が。右は逆に正面縁側から居間方向。家の中に間取り図などが解説されています。
ご覧のようにライトアップされていますからフラッシュをたかずとも手持ちでぎりぎり撮れます。(フラッシュを使うと雰囲気が失われるかも)


ちょっと残念だったのが居間に囲炉裏がなかったこと、動揺してカマドを撮り忘れる。左は正面右手から台所の真新しいお釜。右はカマドから上を。


母屋左にある納屋に置かれた農機具。天井裏も見えるように工夫されている。

両方とも母屋、納屋の裏手。
柱、壁、農機具、家の作りなど見るべくものが多く復元されています。一度足を運ばれてはいかがでしょうか。



下の写真は赤塚溜池公園にある古民家。
多少露出オーバー目(+0.7EV)に撮ったのですが、屋根に虫がつくのを防ぐためのもやっとした煙がわかるでしょうか。
赤羽自然観察公園の木々などまだ若く、見ごたえが出るのは数十年後でしょう。それまで大事に育てて生きたいものです。


人と人のつながりを親密にするたとえとして「一つ釜の飯を食う」ということばがあります。
柳田國男氏の『火の昔』に、もう一歩踏み込んだ考察があるので紹介したいと思います。

「竈またはへついの方は、言うまでもなく食物を煮炊きする所で、何も煮るものがないのにここで
火を焚くことはよくない事のように言う人さえあります。もちろんその食物というのは正式の、神
にも供え申し衆人とともに食べるもののことで、一人が臨時に勝手に食べるものなら、炉の火でも
または外のたき火でも焼いていたでしょうが、すくなくとも改まった食事だけは、竈で調理しなけ
れば価値がないように元は考えられ、一つ竈の物を食べるということは、一家一門の者のことであ
りました。それゆえにまたこの火を清く保つということに、一通りならぬ苦心をしました。黄泉戸
喫(よもつへぐい)という神代の物語は、皆さんはもう聴いて知っておられるでしょう。この竈の火が
穢れると、その食べ物を食べた人とただの人は、つき合うことができなかったのであります。家に
喪のある人だけは是非に及びませんが、他の人々は厳重にこれと竈を別にし、また穢れてきた人が
清い竈に近よることを警戒しました。今でも田舎をあるいてみますと、たとえば九州の南の方とか、
東海道の山に入り込んだ村々などでは、かま屋と称して竈のある小屋だけを別棟に、家の片脇に離
して建てています。これはまったく竈の火を穢すまいとする心遣いでありました。家屋の建築が大
きくなって何もかも主屋の中へ入れるようになってからでも、竈は人の出入りの多い上り口から遠
くに置いて、できるだけ素性のわからぬ人を寄せ付けまいとしております。近頃はこの用心もだん
だん弛んで来ましたが、それでもまだ気にかけることが竃の方に多いのは、起こりはまったく火の
穢れを防ぎ、神にも先祖にも供える食物の清浄を、防衛しようとした習わしからでありました。」  

浮間でも古い農家だった家には現在も別棟に小さな「かま屋」があり、煮炊きの白い煙がみられる。

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