今回は画像がなく殺風景(文章も)になってしまったのですが、ご容赦の程を。
浮間の名前の由来については次のページで採りあげていますので興味のある方はそちらも。
今回は定説になりつつある「浮島」説に対しての異論というか、こういう考え方もあります
よということで参考程度に。
「浮島」説の最初の言いだしっぺは公にされている文書では「岩淵町郷土誌」からではない
かと思われます。マイナーな話題というか、地元近隣での話題ならいいのですが「保育社
日本の古代遺跡 32 東京23区」の「浮間の遺跡」の書き出しには『浮間の地は、かつ
て、荒川にかこまれて浮島となっていたので、この名がつけられたという。』
影響は大きい。(もっともらしさが鼻について常々疑問を持っていたのですが。)
横曽根村の発祥年代は風土記によれば正保(しょうほう 1644〜1648)元年頃とい
う。その正保年中改定図には横曽根村は明記されているのですが、浮間村は書かれてはなく
四十年後の元禄年中改定図には浮間村と明記されています。村の形成、発祥年代を特定する
のは難しいことですが、元禄の頃にはすでに浮間村が形成されていたと考えてもよいと思い
ます。
「かわはら」から「かはら (川原)」、「わたくし」から「わたし、わし (私)」などの
変化を音韻脱落といいますが、「うきしま」から「うきま」に変化したと仮定した場合、音韻
の脱落だけであって「浮島」から「浮間」という漢字までも変化したと考えるには無理がある
ようです。音韻の変化が定着するに要した時間はおそらく何十年単位ではなく百年単位になる
のでは、「浮島」と明記された古文書などがあれば私の異論の余地はありませんが、「浮間」
という誤った伝承を容認し現在にまで至ったとはとても考えられない。
バンの幼鳥と思われる(白と茶色がまだ残った羽毛の様子から)写真が撮れたので追加します。
前回撮影から一週間ほどたった17日夕方撮影。この一羽だけ確認。
下の写真は例年にない暑さ(28日夕方撮影。6月では過去最高気温らしい。)の中の新たなバンの親子。