同潤会方南仮住宅地。(1947年撮影)

下をうねっている川のようなのは、玉川上水。その上の道路は甲州街道。
その上、平行して走っている道路は水道道路。左縦に走っているのは環七。
仮住宅では最も多い405戸造られている。1927年9月に撤廃されている。
具体的にどこに造られたのかその所番地は分らない。
もちろん痕跡などあろうはずもないだろう。





これは方南からほど近い笹塚で。住宅があって駅があり、そこに商店街が形成されてもおかしくはない。





ここらあたり杉並区と渋谷区との区界をどのように決めたのか分らないが入り組んでいる。





木造平屋建てですが、同潤会とは関係がないようです。





現在は廃業しているようです。
















同潤会千住緑町住宅地。

住宅営団は1941年(昭和16年)同潤会解散後、事業を引継ぎ設立された。





1947年に撮影された航空写真。

上の地図に見られる建物と同じ位置にはそれらしき建物は見られない。
左上、川を隔てた町屋に見られる住宅営団の建物の陰影のようなものが
見られてもいいのだが戦災にでもあったのだろうか。
建てられたのは昭和10年、戸数は96戸建てられている。





玄関脇に所狭しと並べられた置物。
気取って歩かなくてもよさそうな町ですね。





隅田川を渡ってきた京成電車。

次に停車する駅は「千住大橋」。上の地図を見ると京成土地案内所(現在の交番辺り)
の近くに「西千住」という駅らしき名前が書かれている。

『京成電鉄「西千住駅」は、昭和10年に上野付近トンネル工事の土砂で埋立てた
緑町分譲地を売り出した際、現緑町二丁目交番付近で営業を開始したが、昭和22年に廃止された。』

「西千住駅」が無くなったのは、駅の統廃合によるという説と空襲の爆撃で破壊されたという説がある
ようで、上の航空写真を見る限りでは戦災を被ったように見えるのだがなんともいえない。





真新しい平屋建ての日本家屋。





区画整理され見通しがいい。





かつて純和風の建物があったのでしょうか。





川にほど近い町外れで。





踏切があり、その脇の交番の裏手で。





ちょいと失礼して後へ。





昭和17年この年の8月13日米国でマンハッタン計画が開始されてますね。





修験僧のようないでたちの人がいたので。

左は千住スポーツ公園。前方に見えるのは中学校、右に京成電車が走っている。
上の航空写真を見た時、気になったのがこの場所近くに見られる建物。
少し細長い建物が27戸ほど整然と並んでいる。
写真は戦後間もなくして撮られている。仮設住宅のように見えるのだが。





公園の中へ入り建物があった場所の方を。手前は古いアパートですね。写真の建物は見ることはできなかった。







同潤会衾(ふすま)町住宅地。

今回訪れたのは赤線で囲った所。現在の住居表示では八雲3丁目。
住宅が建てられたのは旧表示では宮前町、衾町にかけて建てられた。
衾町は現在の八雲1、2、4、5丁目に当たるようで。宮前町は
丸の辺りでしょうか。宮前公園、宮前小学校があるから多分そうでしょう。

青線でなぞったのが呑川。





呑川緑道。現在は暗渠化され桜が植えられている。





年代が入った建物はこの一軒。


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