同潤会千鳥住宅地。

職工向け分譲住宅。150戸ほど造られた。
職工向けの住宅は川口、板橋と見てきたがほとんど建て替えられその痕跡を残していなかった。

右側縦に走る線は第二京浜。交差している弧線は東急池上線。

左中央から下中央に延びている線のようなものは環状八号線。
本格的に工事が着工されたのは1965年。この写真は1947年。





上の航空写真の丸で囲った所。
整然と並んだ住宅の中にあるやや広い街路。





上と同じ街路から。

比較的年季の入った木造住宅なのですが。





住宅街とは異にした千鳥駅に近いところで。






乾物屋なんていう店が昔浮間にあったんですが。






同潤会塩崎町仮住宅

塩崎町という町名は今はない。
塩浜一丁目は旧浜園町。二丁目が旧塩崎町と東平井町である。
塩浜は浜園町の浜と塩崎町の塩をそれぞれ一文字取った名前である。

戦災にあったのか建物らしきものは見当たらない。





深川車両基地。
上の航空写真の右中央部に当たる。





何の変哲もない普通の街角。





越中島線。後で調べてわかったのですが。







同潤会経堂住宅。

現在と街路はほとんど変わっていない。





高級住宅街ですね。
同潤会の建物かどうかという確証はない。





「日本的なるもの」「和洋折衷」「和魂洋才」



門の近くに植えられた松なんですが、下の写真は江古田でのひとコマ、単なる偶然なんでしょうかね。


この松と桜は日本人にとって密接な関係?といわれている。







 「日本的なもの」をどこまでも追求してゆかうとすると、もう少しで追ひつめる、といふ瞬間、
ふつとすべてが消へてしまふ。我々本来の在り方を損ふ不純物をあくまで取り除き、純粋な「日本
人であること」を発掘しようと掘り下げてゐて、ふと気が付くと、「日本人であること」は、その
取り除いたゴミの山にうもれてゐる。(中略)われわれ日本人の内には、確かに、何か必然的に我々
本来の在り方を見失はせる機構、といつたものがある。本居宣長はそれを、「からごころ」と呼んだ。

松岡正剛の千夜千冊で採り上げられていた長谷川三千子著「からごころ」から。


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