今週のメッセージ  2000.2.13

母の召天

私事になりますが、87歳になるわたくしの母が、先週の水曜日(9日)の午前2時、入院先の病院で静かに主のみもとに召されて行きました。温暖な気候の浜松にしてはめずらしく粉雪が舞い、路面がうっすらと雪化粧に覆われた冷たい深夜のことでした。

まだ十分ぬくもりの残っている遺体を引き取り、母が入院するまで住んでいたアパートに帰りました。2年ぶりの帰宅でした。

先週のこのコラムでは、わたくし達の教会のキリシタン殉教史劇『寒椿』上演のごあんないをいたしました。母の召天は、2日間にわたって予定されていた上演の前日のことでした。

突然の葬儀が入り、どうしようかと考えましたが、すでに新聞折り込み等もして案内済みでしたので、その晩、子どもと孫たちだけで前夜式を営み、翌日、子どもたちだけで火葬し、その夕から上演を行ない、さらに翌日の午後と予定通り実施した次第でした。

『寒椿』の主人公はおたあ・ジュリアというキリシタンの女性です。神津島にあるおたあの墓のそばには寒椿が植えられているといいます。寒椿は雪が降っても花を咲かせるそうです。信仰の故に島流しにされ、試練の中をくぐったおたあでしたが、最後まで信仰を貫き通し、多くの島民たちに多大の感化を与えました。寒椿はそんなおたあの墓にふさわしい花というわけです。

『寒椿』の上演を見ながら、ふと粉雪舞う深夜、天に召されて行った母を思いました。高齢で肉体もぼろぼろになりながら、愚痴一つ言わず、感謝と平安の心をもって生き抜き、ついに天に凱旋して行った母は、まさに寒椿の花を咲かせたのだと思います。

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