今週のメッセージ 2000.4.16

本当の強さと救い

“なんだかんだ言っても、数と金と腕力・武力がものを言うのがこの世の現実”、というのが大方の本音かも知れません。

その観点からすると、十字架上の主イエスはまことに無力で惨めとしか見えなかったと言えるでしょう。当時のユダヤ最高法院の議員達はイエスを嘲笑って言いました、他人を救ったんだろう?もし神から遣わされたメシヤだというなら自分を救え!処刑を執行したローマ兵達も、ユダヤ人の王なら自分を救えと侮辱しました。そしてイエスと共に処刑された強盗達の一人も、お前はメシヤではないか、それなら自分とわれわれを救え、と罵ったのです。力ずくで起死回生の大逆転というのが、彼らが描いていたメシヤの救いのイメージだったのでしょう。

十字架上の主イエスは、そのように口汚なく罵る者たちのために祈られました、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」そして息を引き取る間際の言葉は、「成し遂げられた」でした。

何が成し遂げられたというのでしょう。それは、世々のキリスト教会が告白してきた「罪の赦し、からだの甦り、永遠(とこしえ)の命」の救いです。人間が真に必要としている救いは、敵をねじ伏せ、十字架から降りてくるかたちで現わされるものではない、もっと別のもの、そしてまた真の強さとは、力ずくにおいて示されるものではなく、敵対する者たちのために執り成す慈しみの中に示されるものなのです。

キリスト教会は今日からの1週間を「受難週」と呼んで記念し、十字架のキリストに思いを馳せます。是非、最寄りの教会へお出かけ下さい!

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(新約聖書・Tコリント118節)

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