今週のメッセージ 2000.5.21

「宗教」をどう理解し、どう位置づけるか

先週月曜日(15日)、森首相が、日本は天皇を中心とする神の国だということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく云々と発言したことが今、大きな問題となっています。

国家、憲法、信教の自由などの観点から、一国の首相として余りにも問題のある発言と断じられても致し方ない感じです。あらためて、わたしたちの国が体質として持っている宗教というものに対する音痴性を思わされた次第です。

宗教というものが正しく理解され位置づけられていないのです。

わたしたちの国では“無宗教”であることをごく一般的なこととして受けとめますが、外国では“信用できない人間”という印象を与えるといわれます。

また宗教を“触らぬ神に崇り無し”的に敬遠して扱ったり、かと思うと、お金儲けだとか選挙の票集め等、いわゆる利得の手段として利用しようとしたりします。これらはいずれも宗教音痴のなせるわざです。宗教というものは、そのように胡散臭いもののように遠ざけて済ませられるものではありませんし、また、何かの手段として利用するものでもないのです。そう考えたり、そう扱ったりしてしまうところに音痴性があるのです。音をはずしているのに気がつかないで悦に入って歌っていたり、反対に音痴を気にして一切歌うことを止めてしまったりすることとどこか似ています。

宗教はそれを持つことは“人の人たる所以”というべき位置を占めるものです。

森首相の発言に聞くべきものがあるとすれば、宗教の大事さを指摘した一点です。

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