今週のメッセージ 2000.6.25

審判

本日は衆議院議員総選挙の投票日です。いわゆる国民の審判が下る日です。

心配された投票率はどうだったのでしょうか。どうせ大して変わりっこないよと、最初からあきらめ、選挙権行使を放棄する若者が多いと言われます。それは結果的に選挙結果を支持したことになるとして、放棄を戒める声も盛んでした。かと思えば森首相のように、浮動票層は眠っててくれと懇願(?)されるお方もおられました。組織票を持つ政党は、投票率が下がれば下がるほど有利になるからです。それにしても正直とは言え、一国の総理としては余りにも...と言いたくなる問題発言(?)でした。

それにしても今回は、21世紀の政治的枠組みを決める選挙と言われます。国民がどのような審判を下したか、結果の判明が待たれます。

ところで今回の選挙のような審判においては、わたしたち選挙民は言わば審判を下す側です。しかし、選挙民、被選挙民を問わず、すべての人間は、実はその人生において審判を受ける定めになっていることを聖書は告げています。

「神は、善をも悪をも一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引色き出されるであろう。」(旧約聖書・コヘレトの言葉12:14)

「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、...」(新約聖書・ヘブライ人への手紙9:27)

 人生は生きっぱなしでよいわけではないようです。また、自分自身で良かれと思った道を行けばよいわけでもないようです。わたしたちが、何を判断の根拠とし、どのように生きたかを裁かれる時(審判)が、世の終わりにおいてあるというのです。