今週のメッセージ 2000.7.9

七夕と医学生

前回、「ヒトゲノムの解読」について記したのですが、科学もついにここまで到達したかの感を深くされている向きもあろうかと思います。

ところで「科学」の「科」は、「禾(いね)+斗(ます)」の会意文字で、作物をはかって等級をつけること、延いては品分けを示しているそうです。つまり「科学」は本質的に対象をパート(部分)に分けるという性質を持つものといえるでしょう。全体をバラして扱うことを得意としているわけです。そのことは裏を返せば、対象をトータルに見ることが不得手と言えるように思います。ヒトゲノムの解読も、科学的営みの一環としてそうした方向性と性格を持っていると思われます。

従って、他方にあっては、それを人間存在の全体、また人間の生全体、そして人類全体等においてどのように位置づけ、どのように用いていくかが非常に重要な問題として問われてくることになります。ここに哲学さらには宗教というものの出番が出て来るわけです。

うちの教会の近くに国立の医科大学があります。その構内には野球場があるのですが、先日の七夕の日、雨天だったため人っ子ひとりいないベンチの前に、たくさんの短冊がぶらさがった竹が置かれてありました。その短冊には野球部員である医大生の願いや祈りが書かれてありました。医大生らしくないと見る向きもあるでしょうが、なにか医大生の素朴な宗教心のようなものを感じ、ほほえましく思ったことでした。その宗教心が生かされて、人間や科学の営みを超えた存在とその言葉に、人間存在と生の確かな拠り所を見出す科学者また医師が輩出されることを願ったことでした。

「『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。」

(旧約聖書・コヘレトの言葉12:13)