今週のメッセージ 2000.8.20

社会ならびに個々人の成熟

火曜日(15日)が終戦記念日だった先週は、先の戦争にまつわる記事や番組が多かった週でした。そんな中、天皇を頂点とした国家という全体の中に埋没・犠牲を余儀なくされた個々人の不条理や悲惨を回顧するものが目につきました。

「社会と個人」すなわち「全体と個」の問題は、国家と限らず人間の集団のあるところには常につきまとっている課題です。

戦前・戦中は個人が国家という全体の中に埋もれさせられる全体主義的傾向が強くありました。戦後は逆に、個々人の権利や利益を主張する個人主義的傾向が強くなって今日に至っています。

全体主義も個人主義も望ましいものではありません。そのどちらでもない状態が理想的です。果してそんな理想的な状態があるのかということになりますが、その一番わかりやすい身近な例は人間の「からだ」です。

手足、目耳、胃腸等個々の部分が集まって「からだ」が成り立っています。どれ一つ欠けてもいけません。他方、個々の部分は「からだ」の中に所属して初めて命を得、機能することが出来ます。「からだ」から分離しては立ち行けないのです。

ところで聖書では、キリストの「教会」はキリストの「からだ」に譬えられ、個々の教会員(信仰者)はその「肢体」「部分」に譬えられています(新約聖書・?コリ12:27)。

 真に成熟した社会と個々人とは、ちょうど「からだ」とその「肢体」のように、個々人が社会を形成する上で掛替えのない存在として認められ、同時に個々人は、その社会に所属する中でこそ生きることが出来るのだと理解している、そんな中に存在しているものだといえるでしょう。

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