今週のメッセージ 2000.9.24

キリストの十字架の死

キリストの十字架の死は、歴史上の出来事として一般的に知られています。しかし、十字架の意味するところとなると、大方は“キリスト教の教祖の殉教”程度にしか理解されていないのが実際のところだと思います。

では、聖書はキリストの十字架の死をどのように伝えているのでしょう。

処刑に先立ち当然裁判が行われました。しかし裁判とは名ばかりで、イエスは宗教指導者と政治的権力者の間をたらい回しにされた挙げ句、彼らの真実より自分たちの都合・勝手を優先させるやり方、また事勿れ主義の不誠実、そして民衆の無知な付和雷同性等により、不当にも十字架刑の判決が下ってしまったというのが真相です。そしてその背後には以下のような意義が介在しているのです。

弟子ペトロは、それについて以下のように伝えています。

「この方(キリスト)は、...十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」(新約聖書・?ペトロ2:24)

即ち、キリストの十字架はわたしたちのための贖罪死だというのです。

同じく弟子ヨハネは次のように伝えています。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」 (新約聖書・?ヨハネ4:10)

つまり、キリストの十字架はわたしたちの救いのための神の愛のわざだと言うのです。

あなたがこの言葉を信じるところから、あなたの救いが始まります。

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