今週のメッセージ 2000.12.3

わたしと聖書

本日は教会暦では1月元旦にあたる待降節第1主日です。教会ではクリスマスの飾り付けも整い、アドベント・クランツのキャンドルの1本に火がともります。こうして日曜日毎に火のともるキャンドルが1本ずつ増え、4本に火がともるとその週のどこかでクリスマスを迎えるというわけです。

わたしは毎年、この待降節第1主日から新年の聖書通読をスタートします。そして1年かけて聖書全巻を読むことを長年の習慣としています。牧師ですから説教の準備の為に聖書を読みますが、それとは別にプライベートで聖書を読む読み方がその方式なのです。

わたし独自の年間聖書通読日課表を考案してそれに従っています。その日課表だと旧約聖書と新約聖書を並行して読むように編まれています。聖書全体の章数は1189章です。その内、929章が旧約、260章が新約です。毎日、旧約2章、新約1章、計3章が基本です。しかしそれですと、1年では読み切れなくなるので、1日4章読む日も織り込まれています。またそのペースですと、旧約は余り、新約は足りなくなるので、旧約の詩編や箴言を新約日課の方に入れる工夫もしています。

とにかく聖書を読むことは楽しく、魂が養われます。わたしは、聖書を通じて受ける恵みの一つに、この世界と人間存在ならびにその生の、根源と究極を知ること、が挙げられると思います。目先の事柄についての方法論は結構関心の的になります。しかし根源とか究極となると案外関心の外に置かれがちです。そんなことはわからないのだと、最初からあきらめてしまう向きもあります。万物の創造者にして支配者なる神だけが明らかにできる領域です。そして聖書はまさにそのことについて語っているのです。

「わたしは...初めであり、終りである。」(黙示録22:13b)

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