今週のメッセージ 2000.12.10

百聞は一見に如かず?

 
“百聞は一見に如かず”と昔から言われますが、この目で見ることはそれほど確かなことなのでしょうか?新約聖書の中の『ルカによる福音書』は、キリストの復活の出来事についえて興味深いことを記しています。
 キリストが十字架で処刑され、遺体は墓に埋葬されてから三日目のことです。二人の弟子がエルサレムからエマオという村に向かって歩いていました。そこへ復活のキリストが近づいてこられ、二人と一緒に歩き始められます。ところが、二人は一向にその方がキリストであることに気づきません。しかし彼らは、キリストが聖書に基づいてご自身のことについて語られるのを聞き、心が燃えるのを感じたのです。そしてその日の夕方の食卓で、キリストがパンを取って祈り、裂いて分けられる姿を見て初めてキリストであることに気づくのです。
 その後二人はエルサレムに戻り、他の弟子たちに一部始終を話します。他方、他の弟子たちは復活のキリストがペテロにも現れたことを知ります。そしてついにその彼らのところにもキリストは姿を現わされるのです。その時彼らはどうしたでしょう。亡霊をみているのではないかと恐れおののくのです。その彼らにキリストは、聖書に基づいてご自身の十字架の苦難と復活の栄光について解き明かされたのでした。
 キリスト教信仰の世界では、出来事の目撃もさることながら、聖書に基づいてその出来事の意義を悟ることが大きな鍵を握っていることに気づく必要があります。次のような聖句があります。
 
「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(新約聖書・ローマ人への手紙1017節)