今週のメッセージ2000.12.24
救い主ご降誕を伝える聖書記事
 
 プロテスタントのほとんどの教会で、本日はクリスマス礼拝が行われています。その折、必ずと言っていいほど開かれる聖書の個所は、ひとつは『羊飼いたちの礼拝』(ルカ2:1〜20)、もうひとつは『東方の博士たちの礼拝』(マタイ2:1〜12)です。
 この二つの記事は、キリストの聖誕劇としてキリスト教系の幼稚園等で演じられてきた有名な個所です。わが家の子どもたちも幼稚園時代、受胎告知の天使をやったり、マリヤの夫ヨセフを演じた思い出があります。息子がヨセフ役をやった時のマリヤ役は、同じく牧師家庭の子どもでした。牧師の子どもにマリヤとヨセフをさせるのが、幼稚園の先生たちもいちばん決めやすかったのかも知れません。
 聖書のキリスト降誕記事は、童話的・メルヘン的に解釈されがちなところがあります。確かに読む者の連想をかきたてる要素を秘めています。しかしそれがあまり行き過ぎると、聖書から遊離して一人歩きしてしまい、神話か御伽噺の類に堕する危険があります。
ルカ福音書が伝える降誕記事には、異邦人であるローマ皇帝の発した住民登録の勅令を用いて、古の預言者が救い主のベツレヘムでの誕生を預言したその成就を実現させた神の奇しき配剤を覚えさせられます。
 他方、マタイ福音書の降誕記事では、東方からやってきた異邦人である占星術の博士たちが、自分たちにとって大事な黄金や、薬剤として用いたであろう乳香や、商売道具の没薬を惜し気もなく献げて救い主を礼拝した姿を見ます。救い主と出会うと言うことは、自らが持っていた従来の価値観や生き方の変革を決断させることだったのです。
 救い主と出会う時、人は良い意味の変革を遂げることが出来るのです。