今週のメッセージ 2001.3.25

キリスト教葬儀の特徴

先週、わたしたちの教会で信仰歴最年長だった姉妹の葬儀がありました。享年82歳、信仰歴は62年。心筋梗塞で入院されてちょうど1週間目の召天でした。入院後の容体は快方に向かっているように見え、主治医の先生もこの分ならあと12週間で退院といわれていた矢先のことでした。生と死を司られる神を覚え、その御前に一同粛然と頭を垂れたのでした。

キリスト教の葬儀の特徴を一言でいうならば、神が中心であるということでしょう。葬られる死者が中心ではないのです。従って、遺影は中心からはずして置かれます。棺は確かに真中に安置されますが、さりとて棺やまた遺影も含めその周りを飾りたてるようなことはしません。生花が飾られますが、それはその祭壇を中心に式場を飾るものであって死者を飾りたてるものではないのです。

一般にはよく式場に飾られている生花に立て札が添えられ、その生花の届け主の名が書かれていますが、教会の葬儀においてはそうしたことを避けるようにしています。ともすると葬儀の場が宣伝の場として利用されたり、また著名人の名の立て札が死者に箔を付けるような感覚がなきにしもあらずのようなところがあります。しかし、キリスト教会の葬儀にあっては、死者でも弔問者でもなく、ただ神が中心になるのです。

うちの教会では弔電披露もいたしません。列席の弔問者全員に弔辞を述べる機会が与えられるわけではないのに、どうしてその場に連なっていない者の弔慰と名が紹介されるのでしょうか。社会的肩書きのある人からの弔電が死者を高めるといった考え方もいたしません。そして遺族近親の上に神の慰めを祈りつつ、居住まいを正して神の言葉に聞き入り、死者の生前の生き様を偲びながら、向後の己が生き様を探る時とするのです。