今週のメッセージ 2001.4.8

十字架の苦しみ

キリスト教会では、本日より「受難週」と呼ばれる特別な一週間に入っています。「受難週」とはキリストの十字架の苦難を記念した一週間です。そして今週の金曜日は受難週の中でも特別な日――受難日――です。キリストが十字架に磔にされたことを記念しています。

キリストの十字架の苦難は三重の苦しみといえるでしょう。

まずは肉体的な苦しみです。十字架刑はローマが用いた極刑の手段ですが、そのあまりの残酷さの故にローマの市民権を持たない者にのみ適用された程です。囚人は十字の柱に釘付けにされ、飢えと疲労で絶命するまで晒し者にされたのです。キリストはその苦しみを担われたのです。

苦しみはそれだけではありません。キリストは常に正しいことを語り、正しいことを行われたにもかかわらず、理解されず律法違反者とみなされ、弟子の一人イスカリオテのユダに裏切られ、ペテロ達にも見捨てられたのです。この精神的苦しみは筆舌に尽くし難いものだったに違いありません。

キリストにはこれら二つよりさらに過酷な苦しみがありました。それは父なる神から見放された苦しみです。十字架上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」の叫びは、まさにその苦しみを示すものでした。

聖書はこのキリストの十字架の苦しみの意味を次のように告げます。

「この方は、...十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担って下さいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」(新約聖書・?ペトロ1章24節)

あなたも是非このキリストの十字架がもたらす救いに与られますように。