今週のメッセージ 2002.3.10

なぜ殺人は罪なのか

テレビドラマの中では毎日人が殺されています。殺人はもう日常茶飯事です。オギャーとこの世に誕生した時から、こうしたテレビ文化の中で育まれると、殺人に関しても異なった感覚が醸成されるのかも知れません。なぜ人を殺すことはいけないことなのかと、大真面目で問う若者が出現してしまっています。

こうした世相も意識しながら、わたしたちの教会の聖書研究では、今年からいわゆる“モーセの十戒”を学んでいます。先週は第六戒の「殺してはならない」を学びました。

「十戒」が記されている旧約聖書・出エジプト記20章の次の章には、「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる」(21:12)とあり、殺人は死刑をもって償うべきことが示されています(但し、故意による殺人)。また、同じく旧約聖書の創世記の中には、「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」(9:6)と、その理由が記されています。つまり、人間が神により、神にかたどって造られている存在だということが決定的根拠となっているわけです。

さらに、ある神学者は、この「神のかたち」を“互いに差し向かいに生きる存在”と解釈しています。即ち、人間は“互いに生かし合って生きる”のがその基本的ありようなのです。従って、殺人は創造主なる神の人間創造の意図を、真向から否定・破壊するものとなるわけです。

あらためて、人間の生にかかわる基本また根源的真理は、創造主なる神のことばに聞く以外、人間には知る術がないことを覚えさせられます。

「主を畏れることは知恵の初め。」(旧約聖書・箴言1:7)