今週のメッセージ 02.03.17

なぜ姦淫は罪なのか

先週は「十戒」の第六戒“殺してはならない”を取り上げましたので、今週は第七戒“姦淫してはならない”を見ることにします。

まず“姦淫”という言葉そのものが、日頃あまり耳慣れない言葉だろうと思います。しかし聖書の中には、特に旧約聖書ではよく出て来る言葉です。その意味するところは、もっぱら結婚している男あるいは女が、その配偶者以外の異性(結婚している)と性的関係を持つことを指しています。

 この罪に対する刑罰は死刑でした(レビ記20:10)。では、相手が未婚者ならば許されるのか、と問われそうですが、それは“姦淫”ではなかったようですが、特に女性が既婚者である場合は厳しく罰せられたようです。

さて、なぜ姦淫が罪なのでしょうか。

この問題に関する真の理解は、第六戒と同じく、人間が神により、神のかたちに創造されたというところまで溯ることが求められます。前回見たように、「神のかたち」とは、“互いに差し向かいに生きる存在”、すなわち、互いに生かし合う存在であることを意味しています。それはまた、交わりをその本質的あり方として生きる存在、ということでもあります。このことと深く関わりながらキリスト教の結婚式では、神の御前で、神が合わせて下さった信仰を告白し、夫婦となることを誓約します。すると司式者は二人が夫婦であることを宣言し、「神が合わされたものを、人は離してはならない」と結びます。

従って、“姦淫”は神に対する誓約違反なのです。さらにそれは、神がその創造の当初において定められた、人間本来の本質的あり方を根底から破壊するも行為なのです。これを放置することは、交わりの中で生きる人間が破滅に向かう以外の何ものでもないのです。