今週のメッセージ 2002.4.7

見ないのに信じる人は幸い

新約聖書の最初に置かれている四つの福音書は、主イエス・キリストの十字架と復活の出来事に多大のスペースを割いていると前回記しましたが、それに続いている『使徒言行録』という書には、十字架と復活の目撃証人たちの証言がたくさん記録されています。

たとえば315節に次のように記されています。

「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。」

しかし、そのように復活の主イエスと直接お会いすることのできた人達はもちろん限られた人達でした。さらにまた、そうした目撃証人たちも、時が経つに連れ、次第にこの世から姿を消して行きました。

ならば、キリスト教信仰は消滅する以外に道がなかったように思えますが、そうではありません。神は、そうした証人たちの証言を聖書の中に記録させたのです。

四つの福音書の中で最も遅く記されたのが『ヨハネによる福音書』で、1世紀末に書かれたと言われます。1世紀末といえば、目撃証人たちが世を去っていなくなる頃でした。その故に、その中の復活の出来事を伝える記事の中で、最早、見て信じることができなくなる世代向けのメッセージが語られています。それは、「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29ということばです。それに続いて、「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(同31節)と結ばれているのです。