今週のメッセージ 2002.7.21 

ノン・クリスチャンのみなさまへ

私事になりますが、クリスチャンになる前、信仰とか信心というものは老人や弱者がすがるもので、単なる“思い込み”の類に過ぎない、神など存在しないのだが、存在すると思い込むことによって、それが心の支えになるなら、それはそれでどうぞご勝手に、そんな風に考えていました。

洗礼を受けてから43年近くになりますが、その頃の自分と今の自分を信仰とか宗教に対する考え方の点で比べて見る時、“新たに生まれた”と言うほかないほどの変化を感じます。どうしてこんなに変わったのかと不思議です。

信じる前、バイブル・クラスなるものに出席していたのですが、“聖書の中の聖書”と言われるヨハネ3:16のことばをアメリカ人宣教師の方から暗誦させられたことがありました。神から自分へのメッセージなど全く感じることなく、ただ英語のセンテンスとして覚えました。夏にキャンプがあり、はじめて日曜日の礼拝に出席しました。聖書のメッセージが語られたはずですが全く覚えていません。ただ覚えているのは、聖餐式の時、自分が避けられてパンとぶどう酒が配られたことだけです。夜のキャンプファイヤーの熱っぽい雰囲気の中で行われた証し会も、なんの感動も受けませんでした。しかし、今の自分は違っています。実に不思議に思います。その謎を解く鍵が、以下の聖書のことばの中にあるように思います。

 「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。...『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたがたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いてもそれがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3:5、7、8)