今週のメッセージ2002.7.28


聖書の「預言」について


新約聖書の最初におかれている『福音書』には、「小黙示録」と呼ばれる主イエスの終末に関する預言の教えがあります。

「預言」と聞くと直ぐ、未来の事柄を先回りして予告してくれることを期待しがちです。しかし、聖書が語る預言は、基本的に、神から預かったメッセージを告げることであって預言=予言ではありません。なーんだとがっかりする向きもあるかも知れません。終末はいつやって来るのか、どんな経過を経て終末に至るのか、そうしたことを先回りして時間的順序に従って明らかにしてくれると思ったのに...というわけです。

もっとがっかりするかも知れません。その教えを語られる主イエスご自身が、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである」(マルコによる福音書13:32)と言われるのです。「子」とは、主イエスご自身のことです。また「父」とは、父なる神を指しています。

知らなくて、一体、終末が語れるのかと思われるでしょう。普通はついそんな風に思ってしまいます。

終末とは言うまでもなくこの世の終わりのことですが、その時の到来に向けての良き備えは、その時がいつなのか先回りして予告されなくとも一向に差し支えないのです。

いろいろな意味で先が見えてきたように感じさせられる今日ですが、聖書には、わたしたちのいわゆる常識では考えられないようなことが、考えられないようなかたちで教えられています。

聖書を専門的にきちんと説き明かしてくれるキリスト教会を是非訪れ、聖書のメッセージに傾聴されることを心よりお勧めいたします。

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