今週のメッセージ 2002.9.1

今、わたし達の国に欠けていること

乗っけから私見で恐縮ですが、作家曽野綾子氏の主張には共感を覚えることが多いのです。小泉内閣のいわゆる“メルマガ”にも、時折特別寄稿のかたちで氏の主張が掲載されてきました。

38号(314)では、「政治家と徳」と題し、教育改革国民会議委員の肩書きで、当時の外務省に関わる数々のスキャンダルを背景として、真理(道理)を踏まえた政治、行政が行われるべきことを訴えていました。

つい1ヶ月前の第57号(81)も「総理の演説」と題し、昔から大臣の挨拶に深い哲学や人間性を感じたことがないこと、また政府広報があまりにも哲学的、知的、芸術的要素に欠けていることを指摘していました。

氏の二つの指摘は、大雑把に言うなら、前者は人間の生のあり方に関わる倫理・道徳の問題であり、後者は生の哲学と豊かさの問題で、両方共人間の生の根幹に関わっている事柄だと言えます。

この根幹部分で、国の政治や行政を司るリーダー達に欠陥があるとするなら、良い政治が行われるはずがないし、国が望ましい方向に向かうことも困難です。

しかし、こうした問題を他人事で済ませていては無責任でしょう。官庁のお役人はともかく、政治家達は選挙を通じてわたし達国民が選んでいるわけですから、一人一人に責任があるわけです。

政治に限らず、行政、司法、教育等さまざまの領域で人間の生の根幹部分が貧しくなってしまっています。解決は、ひとりひとりが貧しさを自覚して豊かになるべく励む以外にありません。

「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ人間のすべて。」(旧約聖書・コヘレトの言葉12:13)