今週のメッセージ 2002.11.3

「文化の日」に思う

 今日は生活暦では「文化の日」。日曜日と重なったため明日が振替休日となり、三連休の方も多いかと思います。その点、牧師の生活はそうした世間一般の休日とは無関係で、むしろ、かえって忙しいこの三日間です。

 そもそもなぜ11月3日が「文化の日」なのか、とその所以を問う向きもあるかと思います。大元には11月3日が明治天皇の誕生日(天長節)だったということがあるようです。大正時代には明治節と呼ばれるようになり、さらに戦後、この日に現行憲法が公布されるに及んでこれを記念して「文化の日」と呼ばれるようになったというのがその経緯のようです。従って、その起源は直接文化とは関わりがないとも言えるでしょう。

 ところで、「文化」という言葉の持つ意味を国語辞典で調べてみると、「人類の理想を実現して行く、精神の活動」とあります。また「文明」と区別されて「宗教・道徳・学芸などの精神的所産」とも説明されています。

 すると、何が人類の理想なのか、といった問題が出てきます。その答えは十人十色かも知れません。では、人類に共通の理想というものは見出し得ないのでしょうか。 まさにそこにこそ、宗教の出番があるのだと思います。天地万物の創造者なる神のことばに聴く中で、人は何が真理なのか、何が善なのか、何が真に美しいのか、を知っていくことが出来るのです。

 わたしの昨日の聖書日課に「主を恐れることは知識のはじめである」(旧約聖書・箴言1:7、協会訳)とありました。「箴言」の「箴」は、竹製の鍼を意味します。即ち、箴言とは“人生のつぼをつく鍼のようなことば”とでもいいましょうか。人は、この神のことばに聴く中で、真の文化的生活を営む基盤が醸成されるのです。