今週野メッセージ2002.11.10 

福音の真理は逆説的

キリスト教会の重要な務めの一つは「福音を正しく宣べ伝えること」であることに鑑み、毎週の説教の準備ならびに奉仕には心を注いでいます。

福音を説きながら気づかされることは、福音の真理は逆説的であるということです。

例えばイエス・キリストの十字架の場面です。

兵士達は逮捕・連行したイエスに紫の衣を着せ、茨で編んだ冠をかぶらせ、葦の棒で頭を叩いたり、跪いて拝んだりして侮辱します。十字架に磔にすると、その両サイドには、王に仕える高官と副官のように二人の強盗を同じように磔にします。そして、「他人を救っても自分は救えないのか。メシア、イスラエルの王よ、今直ぐ十字架から降りて来い。そうしたら信じてやろう」と弄り罵るのです。

そこでは、言うまでもなく、王としてのイエス(いかなる意味で王と考えるかは問題ですが)、また、メシア(救い主)としてのイエスが否定されています。

しかし、イエスが十字架を全うされたからこそ、神は「キリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになり」、「天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき」(フィリピ2:,10)、主また王として仰ぐ存在とされたのです。さらにまた、キリストが十字架から降りて来られなかったからこそ、罪人の救いの道が開かれたのです。

「神はわたしたちの罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」

(新約聖書・?コリント5:21)

この逆説的真理の悟りこそ、救いを得るために必須な事柄です。