今週のメッセージ 2003.2.9

なぜアベルの献げ物が?

聖書を読んでいると腑に落ちないことに出くわすことがあります。先週は、創世記の中に出て来る、神がアダムとエバに“善悪の知識の木”の実を食べることを禁じられたことへの疑問について記しました。

その記事に次いで、アダムとエバの間に生まれた二人の息子、カインとアベルの物語が置かれています(4章)。そこでも疑問にぶつかります。

ある時二人が神に献げ物をするのです。農夫だった兄のカインは、地の収穫物の一部を献げます。他方、羊飼いだった弟アベルは、羊の群れの中から肥えた初子を献げたのです。すると神は、アベルとその献げ物を喜ばれ、カインとその献げ物は退けられたのです。

なぜ?と疑問が湧きます。答えとしてしばしば聞いてきたのは、アベルの献げ物には犠牲の血が流されたが、カインの献げ物にはそれが欠けていた、というものでした。しかし、どうも釈然としませんでした。

聖書中、この事に言及している唯一の個所は新約聖書のヘブライ人への手紙11:4です。そこには、「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました」とあります。またその記述の少し前の1節には信仰についての言及があり、「信仰とは、望んである事柄を確信し、見えない事実を確認することです」とあります。

カインはただ収穫物の一部を献げ他のに対し、アベルは、ただ群れの中の一匹ではなく、「肥えた初子」、即ち、最上のものを献げたのです。そこに神に対するアベル自身とその信仰が証しされていて、神はそれを喜ばれたのでしょう。献げ物の、物とか種類ではなく、そこに込められた礼拝者の神への信仰が問われているのだと思います。