今週のメッセージ 2003.2.23

祈りと応え

宗教生活において、祈りはひとつの中心的要素といえるでしょう。そして祈りを考える時、必然的にそれに対する神の応えというものが切り離せない問題としてあります。主イエスは、「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる」(ヨハネ16:23)と言われているからです。

40年余の信仰生活を送ってきて、祈りと応えの問題を考える時、わたしの感想は以下の聖書のことばを以ってあてることが出来ると思います。

「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表わせないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くことを、わたしたちは知っています。」(新約聖書・ローマ8:26〜28)

わたしたちは、祈る時、求めたことが、求めたように、速やかに与えられることを、応えとして期待しがちです。しかし、必ずしもそのようにはいきません。すると、応えられなかったように思ってしまいがちです。

しかし、長いスタンスで振り返り吟味する時、自分の貧弱な祈りに対し、神は、自分の願いや思いを越えて、実に豊かにくすしく応えて下さったと言わざるを得ません。信ずる者の内に住まって下さっている“霊”が、言葉に表わせないうめきを以って神の御心に添うべく執り成して下さり、神はその“霊”の思いを汲み取って下さって、万事が益となるようお取り計らい下さったのです。これが、今のわたしの祈りと応えに関する実感です。