今週のメッセージ 2003.4.6

“信仰の父”アブラハム

聖書の中にはいろいろな人物が登場します。その中に、キリスト教のみならず、ユダヤ教そしてイスラム教においても重んじられている人物にアブラハムという人がいます。彼は“信仰の父”とも呼ばれています。

彼に関する記述をひとつ、ふたつ紹介してみましょう。

新約聖書・ヘブル人への手紙の中に次のようなものがあります。

「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先も知らないで出ていった。」(11:8

これは、アブラハムが神から使命を与えられて召し出された時のことです。

同じく新約聖書のローマ人への手紙には、

「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」(4:18

とあります。

 これは、高齢となり、加えて妻のサラは不妊だったため、子どもが生まれることなど絶望的な背景の中でのことばです。

これだけを見ると、「信仰」とか「信じる」ということが、何か闇雲で猪突猛進、盲信・狂信の類に思われる向きもあるかも知れません。ややもすると信仰というものを思い込みのように見てしまう傾向があります。

しかし、真の信仰とはそのようなものではありません。根も葉もないことを勝手に思い込むといったものではなく、その根っ子のところに神の言葉があるのです。神のことばを信じて生きていくのが信仰なのです。この信仰によって人は救いを得ると聖書は語ります。それも単に心の中の安心といったものではなく、「死んでも生きる」という凄まじい救いです。

今年ももうすぐ、キリストの復活を祝うイースターがやって来ます!