今週のメッセージ2003.4.27

見ないで信ずる者は幸い

今日はイースター(復活祭)からちょうど一週間目ですが、聖書の中に主イエスの復活からちょうど一週間目に起こった興味深い出来事が記されています。それは十二弟子の一人、トマスという人にまつわる出来事です。

一週間前、甦られ主は弟子たちの前に復活の姿を現されました。しかし、たまたまトマスはその所に居合わせませんでした。後で他の弟子たちから主イエスが復活したことを聞かされたとき、彼は言いました、主の釘を打ち込まれた手の釘跡に、槍を突き込まれた脇腹の槍跡に、この手を差し入れて確かめて見なければ自分は到底信じられない!

この故にトマスは後に“疑い深いトマス”という綽名をつけられてしまうのですが、彼が特別疑い深かったわけではありません。それはむしろ率直で当然の疑問でしょう。他の弟子たちは復活の主とお会いした、しかし彼はお会いしなかった、ただそれだけの違いです。

一週間後、今度はトマスも一緒に居たとき、再び復活の主は姿を現されたのです。その折、主とトマスとのやり取りの中で主は言われたのです、「見ないで信ずる者は、さいわいである」(ヨハネ20:29)と。

トマスは自分の手を差し入れて確かめるまでもなく、復活の主を信じる者となりました。しかし、後の時代のわたしたちは、トマスのようにこの目で復活の主にお会いするわけにはいきません。しかし、主は言われるのです、「見ないで信ずるものは、さいわいである」と。

昨日、ちょうど1年前、91歳の地上生涯を終えて天に召された、わたしたちの教会の名誉牧師であった菊地隆之助師の記念会がもたれました。列席者は皆、生前の師を偲びつつ、復活再会の希望を新たにしました。まさに信ずる者のさいわいがそこにありました!