今週のメッセージ 2003.5.18

自分探し

“わたしは一体何者なのだろう?”“どう生きるのがいちばんわたしらしい生き方なのだろう?”人生を歩む中で、必ず当面する重大テーマだと思います。

ところで、聖書に頻繁に出てくる(特に新約聖書に)語に、「命」「永遠の命」があります。「命」というと、まず身体的な命を考えます。「永遠の命」と聞くと、その命がどこまでも続くような命と理解します。

もちろん、聖書において「命」が身体的命を意味する場合もあります。しかし、「永遠の命」と言う時、聖書では、それはどこまでも続く命といったものとは非常に異なっています。

わたしたちの教会の公用聖書となっている新共同訳聖書の後ろには用語解説が付いています。そこでは「永遠の命」は、身体的命とは区別されるキリストにある新しい命、復活されたキリスト自身の命、とあります。またクリスチャンは、この世にあってすでにこの命を持っている、とあります。

「命」と言えば、新約聖書の『マタイによる福音書』1626節に次のような言葉があります。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」

この中の「自分の命」は、新英訳聖書(NEB)では“真の彼自身”(his true self)という意味の訳になっています。

キリストにある時、キリストの命に与る時、真の自分になれる道が開かれそうです。“自分探し”の鍵は、案外聖書の中に、イエス・キリストとの出会いの中にありそうです。