今週のメッセージ 2003.6.15

聖書の中のある父親像

 

本日の「父の日」に因み、旧約聖書に登場するモルデカイという人物を通して、父親に期待されていると思われる要素を取り上げてみたいと思います。

モルデカイは「エステル記」に出て来る人物です。「エステル記」というタイトルが示す通り、エステルという女性がこの書の主人公なのですが、モルデカイはエステルとは従兄妹同士であり、かつ、エステルの育ての親でもありました。

彼は、いわゆるバビロン捕囚により異郷の地で暮らすことを余儀なくされたユダヤ人の子孫です。幼い時に両親を失った従妹のエステルを、彼は親代わりとなって育てたのでした。

やがてエステルはなんとペルシャ王の妃として宮廷に召し入れられます。ある時、ユダヤ人絶滅の王の詔勅が発令されるのです。自分がユダヤ人であることを秘密にして宮廷に入っていたエステルでしたが、モルデカイは同胞の危機に際し彼女に語りかけます、「他のユダヤ人はどうであれ、自分は王宮にいて無事だと考えてはいけない。...この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(4:13,14、と。彼はエステルに、王に対し、同胞の救いのために執り成すことこそ、彼女に課せられた使命だと説得するのです。その結果、エステルの捨て身の執り成しが功を奏し、ユダヤ人たちは絶滅の危機を逃れたのでした。

「この時のためにこそ、...」とモルデカイはエステルに語りかけました。重大な時に際し、使命感を以って身を処することが出来るよう、意味づけ方向づけを与えることこそ、父親が子に対して期待されている大事な要素の一つではないかと、モルデカイを通じて思わされています。