今週のメッセージ 2003.7.6

七夕に「ひかり」を思う

 

明日七月七日は、七夕(たなばた)とか星祭とか呼ばれる日です。新幹線「ひかり」号の名称は1964年7月7日に当時の国鉄が決定したのだそうです。七夕→星→光の連想から来ているのでしょうか。なんとなくわかる気がします。

「ひかり」とか「明かり」と言うと、聖書の中に興味深い記述があります。それは聖書のいちばん最後の書、『ヨハネの黙示録』に出てくるのですが、来るべき新天新地に築かれる神の都には「太陽も月も、必要でない」(21:23)というのです。それは、「神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」(同23節)がその理由といわれています。同25節には「そこには夜がない」ともいわれています。

太陽も月もないなんて味気ない、と思われる向きもおありでしょう。夜がないということはいつも昼間だということだから、神経が休まらなくて困るのでは、と案ずる方もあるかも知れません。

新天新地における神の都は、いわゆるこの世とは異次元・異質の世界ですから、象徴的にしか描けないところからそのような描写になっているのです。文字通り受け取るとおかしなことになってしまいます。

「小羊が都の明かり」といわれる「小羊」とは、主イエス・キリストを指しています。キリストが、神についての真実な知識、またまことの救い、永遠の喜びと平安、そして完全な聖潔を実現して下さり、無知、不条理、悲惨、罪、腐敗の闇を完全に駆逐して下さる故に、「小羊が都の明かり」といわれ、「太陽も月も、必要でない」といわれているのです。

わたしたちが、この限りなくすばらしい都に市民権を得るために、主イエス・キリストがあの十字架で犠牲の「小羊」となって下さったのです!